彼女は時々、女神のようで。


光と闇と君と俺と



 エクソシストでありながら科学班室長助手を担うリナリーは、他の同僚よりも本部にいる事の方が多い。
 万年人手不足の教団なのであくまでわずかな違いではあるが、それでも彼女は、"本部に帰れば必ずいる"といった認識があった。
 ラビもまた、そんな風に思っている一人である。
 任務から帰還した彼は、当然のようにリナリーを探した。


 四方八方、床から天井まで本で埋め尽くされる部屋は、数ある資料庫のひとつ。
 気分が重くなるばかりの任務に役立つ知識が詰め込まれている本達は、傷まないよう配慮がされて太陽の光を受けず永い時を過ごしていて、独特の香りと空気を持っている。
 それぞれの部屋で、住人や使用目的で持っている雰囲気は違うものだけれど、数々の書が主人であるこの部屋は特別だ、とぼんやり考えながらラビは扉を閉める。
 教団の科学技術によって室内は明るく出来るが、現在の利用者はランプの光を選んだらしい。
 ゆらり、とオレンジの明かりと、それが作り出す影が揺れる。
「おかえりなさい、ラビ」
 高く細い声が、青年を迎える言葉を紡ぐ。
「ただいまさ……リナリー」
 ラビの曝け出されている瞳が細まり、リナリーの顔が綻ぶ。
 常ならば帰還した際のお約束となりつつある抱擁を行う男は、しかし今は驚くほど遅々として恋人へ近付いていった。
 エクソシスト服ではなく、首や袖に羽がふんだんに使われているワンピースを着用している少女は、絵本の中の魔女のようにも、賢者のようにも似ている。
 "いつものやり取り"がなされるのだと、ラビは理解して歩いた。

「ブックマン・ジュニア。
 お仕事はどう?」
 右手に分厚い本を開きつつ、リナリーが真っ直ぐにラビを見て尋ねてくる。
 それは、彼の本当の使命に触れる問い。
「ん、変わらない。人の世には常に戦争が付き纏うさ」
 答えられる範囲で、名を捨てた男は返す。
 普段は美しい黒曜石を思わせるチャイニーズの黒い瞳が、純粋な闇の色になる時、戦争の当事者としての問いが放たれる。
 いつ頃からか始まった、変化のない問答。
 ラビは、わずかに恐れながらもこの時間を欲している。
「人がそれを起こして、AKUMAがそれを助長する?」
「ああ」
 彼女の視線がラビから外れて本に落ち、パラリと、本の捲れる音が静かな室内に良く響く。
「アクマが起こして、人が巻き込まれ……人が、利用する?」
「……その通りさ」
 世界中、人の哀しみが呼び、人の皮を被ったモノが暗躍している。
 この場所以外で会う人間全てを敵と思うのは慣れたが、時々キツイ。
 綴る争いの記録も、また同じく。
「言っても詮無い事だけど、たまんねぇな」

 あれらは、闇。
 じわじわとラビを侵食する黒。


 本を閉じる特有の音を耳にした彼は、やや伏せていた視線を恋人に合わせた。
 リナリーの持つ本の装丁は真っ黒で、どこか禁書を思わせる。
「ラビ」
「うん」
「ラビ」
「うん」
 繰り返し、少女が呼ぶ。
 生まれた時に両親からもらったものではないけれど、今はこれが青年の名で。
 リナリーは、大切なものだと声音で語りながらラビを呼ぶ。

 闇が、戦争ならば。
 真白い彼女は、光だ。

 その装いがたとえ黒になっても、それは変わらないだろう。


 じわりじわり、点々とラビの中に広がりかけるものが、彼女が差し出す手によって消えていく。
 ブックマンを継ぐ者は、大切な恋人の伸ばす手に触れ、頬に当てると、そっと距離を詰めた。

 揺れ動く自分に、ああして立ち位置を知らせてくれる時の彼女は、ピンと張り詰めた空気を纏い、冷徹に問う。
 ―――まるで女神だ。
 リナリー自身は世界の裏の姿を忘れないよう、時折尋ねているだけにしても。
 それによってラビが救われているのを、彼女は知るまい。

「リナリー」

 熱のこもる囁きを落としながら、彼女の額に口付けを落とす。
 手がそっと握り返され、ラビはリナリーの細い腰に腕を回した。

 すっぽりと腕の中におさまるぬくもり。
 人が戦う、最たる理由だろう。


 ラビの戦う理由は、戦争を記録するため。
 傍観者として世界を俯瞰するブックマンは、ただそれだけの為に在る。

 リナリーを守る為に―――なんて、嘘でも言えやしない。


「ラビ。私ね」
「ん?」
 肩の付近から聞こえてくる彼女の声がくすぐったい。
 ラビは唇の端を小さく持ち上げて、先を促す。
「いつかあなたが廃業出来る世になれば良いと、馬鹿みたいに祈ってる」
 軽やかながら本気の潜む言葉に、彼は抱き潰さんばかりに腕の力をこめる事で応えた。




 裏の、闇の歴史を紡ぐ者が、光り輝く女神を胸に抱いていてはいけないなんて決まりはない。


 甘やかな彼女の髪の香りに酔いしれながら、ラビはそんな事を思っていた。




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