「皆城くん、今いいかな?」 それは、差し延べられた手。 話をしよう 遠見真矢が、遠慮がちに総士に話し掛けてきたのは、アルヴィスの業務も終わろうとしている夕方の事だった。 どこか深刻そうな顔をしていたので、重大な話でもあるのだろうかと総士は身構える。 「なんだ?」 「うん、あのね、お話したいんだ」 「……話?」 彼女の表情から、話の内容が戦闘の事ではないのが明白だった。 だから総士は戸惑う。 幼なじみではあっても近頃仕事以外ではあまり交流のない真矢が、突如「話をしよう」と言い出しても、彼は答えるべき言葉を持たない。 「この前、あたし皆城くんに言ったでしょう? 一騎くんとちゃんと話をして、って」 「……ああ」 あの時の彼女の言葉も、表情も、リアルに思い出せる。 真矢は、見逃してしまう真実を、知らぬふりをしていたい本音を見つけ出して、容赦なく叩きつける。 あれがどれだけ耳に、心に痛かった事か。 しかし、とても大事であったのも、また事実。 「あたしも……話がしたいんだ。総士くんと」 分かり合いたいと、望む心。そんな心のありような瞳に現れて、総士をまっすぐに見詰める。 少年が恐れ、愛おしむ――その目。 彼女に恋する男が、それに勝てるはずはない。 一騎の帰還による余裕が生まれ、また真矢に弱い総士が折れて、彼女を案内したのは休憩スペースのひとつだった。 さすがに、一騎と同じく自室に連れてこむわけにはいかない。 備え付けてある自販機で飲み物を購入し、先にソファに座らせた真矢に手渡す。 「ありがとう」 少女は、渡された缶を見て嬉しそうに笑う。 「あたしの好きなの、覚えててくれたんだ」 「偶然だ」 うん、と頷く真矢は、咄嗟に出てしまった総士の嘘に気付いているのだろう。 立ったままの少年は自分のコーヒーに口をつけながら、美味しそうにオレンジジュースを嚥下する真矢を眺める。 居心地の悪くない沈黙がしばし流れ、ごく自然に、真矢が口を開いた。 「ねぇ皆城くん、あたしも外の世界を見たよ」 それは、静かながら、総士の中のなにかを打ち抜く威力を持っていた。 高まる鼓動が耳にうるさくて、缶を持つ手が震える。 世界は、地獄。 ――総士は、知っている。 一騎も知った。 だからこそ島を守りたいと思い、軍服に袖を通し、この場所に立つ。 少年の変調を知ってか知らずか、彼女は本を朗読するかのように語っていく。 「一騎くんを迎えに行った時、ほんの少しだけど"外"にいて、溝口さんからも話してもらって……あたしは、この目で、世界を見た」 「世界の、ほんの一部だ」 「そうだね。でも世界はみんなああだって、溝口さんは教えてくれた。道生さんも」 その表情は、あまりにも愛しげで、哀しげで。 総士の胸が痛くなる。 「……たったあれっぽっちで、世界を括ろうなんて思わないよ、もちろん」 真矢は息を吐く。 同時に体内から出されたのは、なんだろう。 力の抜いた身体で彼女は目を閉じて、顔を上げる。 それは祈りにも似た姿。 「この島は、楽園なのね」 また明日ね、と無邪気に友人と別れる子供達。彼等の帰りを待つ大人。 電柱には、週末に行われるイベントのポスター。どこかから、威勢の良い掛け声が聞こえる。きっと、商店街の誰かの声。 当たり前と信じていた、島の日常。 世界では、こんなささやかなものが奇跡なのだという。 「遠見……」 彼女は、"こちら"に来てしまった。 島を守る側―――総士と同じ位置に。 そう理解した今の悲しみと喜びを、生涯忘れまい。 出来る事ならば、そんな事は知らないでいてほしかった。 これは自分のエゴだと分かっているけれど。 一番大切で守りたい彼女には、楽園の中で太陽のように笑っていてほしかった。 ああしかし、この身を震わせる歓喜は。 近しくありたいと望む者が、意味は違えど、同じ目線にやってくる。 等しい思い、痛み、喜び……肩を並べて、戦い合えるこの喜び。 「皆城くんは、誰よりも先にそれを知ってたから、守ろうとしていたの?」 祈りを終えた真矢が、総士にひたと視線を合わせて訊ねる。 無遠慮に心に触れようとする問いかけから、総士は逃げなかった。 「ああ」 確かに義務はあった。 だがそれだけでは、友をファフナーに乗せる事など出来ず、ジークフリード・システムのフラッシュバックには勝てない。 ここは、楽園。 最後にして偽りの、しがみつくように守られる平和の地。 総士の守りたいものの最たる少女が、ふんわりと笑いながら、言う。 「あたしのすべてをあなたに預けるよ。どれだけ辛い指示でもやるから、どんな事をしても島を守って?」 缶を持つ総士の手に重ねられる、小さな手。 あたたかな温もりが、少年のショックをじんわりと吸い取っていく。 「ううん、あたしも島を守りたい。総士くんと一緒に守りたい」 自分よりも大きな総士の手を包み込もうとする、最後の、一騎に次ぐ最強のファフナーパイロット。 誰をも驚嘆させたその安定性は、他のパイロットが誰一人として体験しなかった経験と、それらの見聞によって固められた信念がもたらしていたものなのだろう。 「……一緒、に」 「うん」 ジュースを傍らに置き、真矢は総士の片手をぎゅっと握り締める。 力こそ強くはなかったけれど、強固な覚悟は伝わってきた。 「―――了解した」 多くの言葉はいらない。 彼は空いていた手で彼女の両手を包み込み、見えないけれど投げられた大事なものをしっかりとキャッチする。 話をしよう、と彼女は言った。 それは差し伸べられた手。 かつて彼女がその大切さを説き、一騎と総士に歩み寄るきっかけを与えた。 総士は、彼女が差し出した手を握り返す。 「遠見」 教えられた事を忘れない。話す努力を怠らない。 「ん?」 「ありがとう。 共に、 「―――うん」 握り合った手は、わずかに繋がりあった心そのものだった。 |