きみをあいしてる。


My dear…



 溝口恭介にとって、遠見真矢は"特別"だった。
 どのように特別か、と言われれば答えに窮する。
 娘か姪か――そんな名詞が頭によぎるも、すぐに消えていく。
 きっと、言葉という形に出来ない、してはいけない、そんな存在なのだ。


 少女を探して、溝口はアルヴィス内を歩いていく。
 こうして彼女の姿を探していて思うのは、なぜ真矢は人の来ない場所を見つけるのが上手いのか、という事だ。
 彼も真面目とは程遠い人間なので、隠れ家のようなちょっとしたスペース発見・確保には長けている方だが、あの少女も中々のものである。
 乙姫の内緒の手伝いなくば、まず辿りつけないだろう。
『次の通路を右に曲がった先にいるよ』
 CDCが発するものではない音声に、溝口は肩を竦めて答える。
「分かった。いつも悪ぃねぇ」
 本来ならば島の人間にあまり干渉してはならない少女だが、真矢は"いけない"例外らしい。
『これ以上は出来ないから。これも秘密だし』
「わーってるって。子供がヒミツを持つのは当然だ。あんま思い詰めんな。
 俺は、子供のたったひとつの秘密を見逃せないような甲斐性なしじゃねぇよ」
『……うん。
 真矢を、お願いね』
 消えていくか細い声。
 切なく託されたものに溝口は片手を上げで返事とし、探し相手の元へ急いだ。


 ――この時は、いつも何の音もしない。気配も薄い。
 光もあまり届かない場所で、彼女はいつも、静かに泣いている。
「見つけたぞ、真矢」
 身体をわずかに震わせて反応を示す真矢に、溝口は呆れでは無い溜息をつく。
 そろそろと近付き、問答無用で少女を抱き上げる。
 真矢はひとつ間を置いて、溝口の首に腕を回した。
「ったく。分かり辛い場所で泣くなって言ってるだろ」
「ふっ……」
 男の言葉を合図に、咽び泣きだす真矢。
 しっかりと自分に抱きついてくる娘の背を、溝口は優しく叩いてなだめた。


 最初は、偶然だった。
 空を見て、声も出さず涙だけを流す少女を見かけた。
 その姿は美しくて……だからこそ、そのまま溶けて消えてしまうのではないかという馬鹿な考えを吹き飛ばせずに恐怖し、溝口は彼女を抱き上げた。

 二度目は、おろおろと真矢を探す一騎に会って、探してみた。
 見つけられたのは偶然だろう。たまたま、真矢が溝口のお気に入りのサボリスポットで泣いていたから、以前と同じく抱っこして、あやした。

 三度目は、激しく口論する総士と真矢を見かけた。
 二人のやり取りは、ズバズバと痛いところをつく少女と、それに反発する少年、といった感じで、言葉が過ぎたのは総士だった。
 あまりの言われように絶句して、真矢がぼろぼろと涙をこぼしたので、彼等が別れたところを見計らって、やっぱり真矢を捕まえに行った。


 それから、溝口は真矢の泣く場所になったのだ。

 自分の無力が痛い、と叫んだ少女を見た。
 みんなを守れない、と血を吐くような――身体中の血を絞るような声を出した少女を知っている。
 どれほどの言葉も慰めも、何も出来ないと自らを責める真矢には届かず、霧散した日を覚えている。

 それでも溝口は、彼女に手を伸ばす事をやめはしない。


「我慢するなよ。泣いちまえ」
 真矢が泣き虫というわけではない。
 むしろ泣かない方だろう。ギリギリ我慢して、我慢して……やがて弾けて、一人で肩を震わせる。
 それが溝口には我慢ならなくて、いつも涙する真矢を探すのだ。
「泣くのはな、悪い事じゃないんだ」
 柔らかい髪の毛をくしゃくしゃ撫でながら、彼はゆっくりと言葉を紡ぐ。
 いざとなれば特殊部隊を率いる軍人が、これほどやわらかに話すのを、真矢以外は知る事はないだろう。
 答えるように、きゅ、と強まる腕の力。
 信じていた日常が去り、親友が空に散って、今は友の戦闘を憂う日々を過ごす少女が、抱えているものはなんだろう。
 想像は想像でしかなく、それでも溝口は考える事と、泣き場所になる事しか出来ない。

 大声で泣けば良いと思う。
 うるさいぐらい叫んで、喚き疲れて、休んで、やがてまた歩き出せば良い。

 溝口の首筋に縋りつき、彼の服を塗らしていく真矢の首に、男は自分の頭を寄せる。
「お前が泣く理由、みんな無くせればなぁ」
 少女が、泣く事がなければ良いと思う。
 だがそれは、生きている限りは到底無理な話で。
 軽やかで、物騒な本音を聞いた真矢は、小さく頭を振る。

 何度泣かされても、その原因を消し去ろうとは思わぬ少女を、溝口は愛しいと思う。

 この、可愛く愛おしい娘に、幸いを。


 溝口は神を信じないけれど、なにかに、切実に祈る。


 ようやく涙を止めつつある真矢が顔を上げたので、溝口は少女の小さな額と自分の額を合わせ、すっかり赤くなってしまった彼女の瞳を覗き込む。
「なんか甘いものでも食ってくか」
 小さく鼻を啜った真矢は、こくりと頷いて同意する。
 それだけで満ち足りた気分になる自分が、さして遠くないところからこちらを窺っている二つの気配をきっぱり無視する自分が、溝口は嫌いではない。


「どこかで乙姫ちゃんを見つけられると良いな。誘ってやろう」
「……はい」
 今日はじめて、真矢が可愛い笑顔を見せてくれた事にほっとした溝口は、ゆっくりと地上へ出る扉への道を進んだ。





 きみをあいしてる。

 泣かないで欲しいけれど、もしも泣く時は側にいるから、だから、笑って。



 きみを、あいしてる。





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