かき鳴らされる楽器。
 洗練された美しさなどはなく、即興的で賑やかさばかりが耳につく音楽。
 素朴なそれに知らず身体はリズムを刻み、人々は思い思いに歌って踊る。


ダンス




 同盟軍の本拠地は、娯楽施設が充実している。
 舞台があれば踊り子も楽団もおり、賭場の設備もある。
 二月(ふたつき)に一回はどちらも休みの日があって、この日は戦いが無く、また同盟軍領地内で戦闘による死者が出なかった場合に限り、城の住人達が宴を催す。
 宴とは言っても、平民達が村に住んでいた時に行っていたようなものだから、王族や貴族の城などで行われるパーティーとは全く違う。
 大広間を貸切り、テーブルと椅子、料理や酒を運び込み、人が集まれば、合図も無く気取ったところなど無い庶民の宴が始まる。
 少し高くなっている台では数人の男女が踊っている。隅では腕相撲している男達がおり、その横では二人の勝負の賭け事をしている者がいる。別のテーブルではポーカーの勝敗でいざこざが起こっていたり、それを茶化す者がいたり。
 この日ばかりは楽団が無償で楽器を奏で、楽の覚えがある者は持参した楽器を演奏する。その音楽に乗って、人々は笑って踊る。
 理性がある者など一人もいなさそうな場の入り口に、男が一人突っ立ていた。
「これは……」
 目の前で展開される光景に、騎士服を隙無く着込んだ元マチルダ青騎士団長が呆気に取られた言葉を発した。
「マイクロトフさん、こういうのは初めて?」
 言われて、マイクロトフはハッと我に返る。この宴に連れてきてくれた少女――ナナミが、不思議そうに自分を見上げていた。
「はい」
 騎士を志してからというもの、訓練と勉強に時間を取られた上に厳しい戒律が付き纏い、またそれほど興味もなかったから、初めてと言えば初めてだ。その前は、子供過ぎて参加が認められなかった。
「人ごみが苦手だったりすると入らない方が良いかも……大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ」
 心配そうに気遣うナナミに頷き返し、マイクロトフは一歩踏み込む。
 扉を開いた時から思った事だが、凄まじい熱気だ。きっちり着込んだ騎士服が暑く感じてしまう。
「お、マイクロトフとナナミじゃねぇか!」
 樽のテーブルに大ジョッキのビールを置きながら、こういう場所に一番馴染んでいるように見えるビクトールが話し掛けてくる。やはりというか、その隣にはフリックの姿があった。
「マイクロトフが来るのは珍しいな」
 すかさずマイクロトフに酒を渡し、ナナミにも同じように酒を渡そうとしているビクトールを睨んで止め、ジュースを用意するフリックが笑う。
「来る途中で会ったから誘ったの」
「はは、そりゃ災難だったな」
「どーいう意味よ、ビクトールさん!」
 傍から見るとほのぼのとした二人の遣り取りに、マイクロトフが笑むように目を細める。
 どん、と背中に衝撃を感じて振り返れば、場所に関係なく踊っている男女が遠ざかっていくのが見えた。
 広間は広いが、城中の人間が集まっているから人口密度は高い。
「そんな事で驚いてたら持たないぞ。ここじゃ当たり前だから」
「そ、そうなのですか」
 良く気の付くフリックの助言に、さすがのマイクロトフもたじたじと答える。
 はっきり言って騎士は上流階級に属する職業である。仕事上出席するパーティーと、このパーティーは全く違う。彼にしてみれば、見るもの聞くもの全てが初めてで、自分の基準とかけ離れているのだ。
 とりあえずマイクロトフは、フリックがナナミのジュースを用意するときに持ってきてくれた椅子に腰掛けて酒を飲む。ナナミが女友達に誘われて少し離れて場所に行くのが見え、彼女が申し訳なさそうな顔をしたので気にしないように身振りで示した。
「活気がありますね」
「ストレス発散と楽しみの場だからな。シュウからも許可が出てるし、無礼講だってみんな騒ぐのさ」
「あいつは、生活面での潤いも戦いの中にゃ必要だって分かってんだろうな。さすが良く分かってやがる」
 なんだかんだ言っても、騒いで酒を飲めればいい、とビクトールらしい意見で言葉を締め括り、マイクロトフは苦笑しながら頷く。
 他愛無い事を三人で喋っていると、少し大きな歓声が沸き起こった。
 周囲の者と同じように音源の方に首を巡らせれば、少し高くなっている台の上で踊る数人の男女の中にシーナとナナミがいた。
 二人の見事な踊りに、人々が拍手喝采を送る。
「大嫌いコンビが踊ってるな」
「あいつら、あんなに息が合うのにお互い嫌いなんだもんな。分からないものだ」
「シーナ殿とナナミ殿が、ですか?」
 腐れ縁コンビは揃って頷いた。
 もう一度マイクロトフが注意して二人を見遣ると、どこか緊張感の漂う空気を漂わせて二人は踊っている。その顔は危険を楽しむようなものだった。
「……分かったような気が」
「だろ?」
 ぱっと見ただけでは分からないものだ、とマイクロトフは酒を飲む。
 ――賑やかな場所は見ているだけでも楽しい。ナナミに誘いに頷いてよかったとマイクロトフが思っていると、一曲踊り終えた彼女が戻ってきた。
「マイクロトフさんも踊ろうよ!」
「え!?」
「おー、行ってこい、行ってこい」
 ビクトールが無責任に言い、マイクロトフは慌ててしまった。
「いえ、俺は……」
「…………嫌?」
 捨てられた子犬のような瞳が、身長差の関係で上目遣いになって迫ってくる。
 ナナミのこの目に、泣く子も黙る元青騎士団長は弱かった。
 葛藤を繰り広げるマイクロトフと、そんな彼を見続けるナナミ。ビクトールとフリックは大笑いしたくなるのをこらえ、どれくらいでマイクロトフが落ちるのか考えて楽しんだ。
「……………………分かり、ました」
 勝負時間、5分30秒。
 敗者マイクロトフ。


 こういう場に初心者のマイクロトフの為、傭兵達が酒を飲むのを中断して一肌脱いでくれた。
「まず、お上品なステップなんざ頭から捨てろ」
「こればかりはビクトールの言うとおり。適当で良いんだ」
 背の高い男達が、踊るスペースに突っ立っているのは邪魔でしかない。講釈をしているというのに周りの恨みがましい視線を受けて、ビクトールがナナミの腕を取った。
 突然の事で驚いたナナミも、すぐに対応して踊り始める。
 熊とも称される傭兵は意外に器用なもので、開き過ぎているリーチもなんのその。自分とナナミの身体を軽やかに操る。
 良く見てみれば、確かに規則的な動きが皆無だった。
 マイクロトフという人間は、二十台半ばの若さで青騎士団長を務めるだけあり、多少の説明だけで物事(一部を除く)を理解してくれる優秀な人間だったので、ビクトール達もほとんど口を挟まない。
「ほれ。フリック、パス」
 パスとは何ぞや、とマイクロトフが訝しんだ瞬間、ナナミの身体がぽおんと宙に舞った。
「!?」
 あまりの事に言葉も出ないマイクロトフを余所に、フリックは上手くナナミを受け取り、一瞬の淀みも無く踊りに入る。放り投げられたナナミといえば、驚いた事は驚いたようだが、面白かったのかきゃらきゃら笑っていた。
 フリックとナナミの踊りは、ビクトールとナナミの踊りよりは流れるような美しさがある。ダンスに関してはフリックの方がうわて上手のようだ。
「ほら、マイクロトフ」
 じっと観察していたマイクロトフに、フリックが何やってんだ、という顔で言ってくる。騎士がはっとした時には、もうナナミが腕の中にいた。
 少女の柔らかな身体に頭が真っ白になってしまったマイクロトフは、考えなどなく足を動かす。
「私もこのお城に来てから教わったの。そんなに慣れてるわけじゃないから、気楽に、ね」
「は、はい!」
 緊張でどもったマイクロトフに、女達の誘いを受け流して席に戻ったビクトールとフリックが微笑ましい目で見る。
 元々身体能力の優れるマイクロトフが、音楽のリズムを聞き取り、場当たり的なダンスに馴染むのは驚くほど早く、ナナミが気付いた時には、完全に彼にリードされていた。
「ほう」
「上手いじゃないか」
 酒片手とはいえ、一応見守っていた傭兵達が適応の早さに感嘆の溜息を漏らす。
 余裕が出てきたマイクロトフがナナミを見ると、彼女は楽しそうに笑っていた。すぐ側では、女達が華やかに身体を動かし、男達が豪快に彼女達を支えてリードしている。

 アルコールの手伝いもあって、段々とマイクロトフは楽しくなってきた。
「すごいすごい! マイクロトフさん上手―!!」
「ありがとうございます」
 すぐ側で踊っていた男とぶつかりそうになったナナミを抱き上げる事で回避して、マイクロトフは少しだけ野性味を感じさせる笑みを浮かべる。
「じゃあ、少し違う事もしてみようよ!」
 ようやくこのパーティー風のダンスに慣れてきたマイクロトフに、ナナミは更に難題を吹っかけた。
 マイクロトフの手を取って高台に登り、ナナミは足だけでリズムを刻み始める。複雑な足運びは軽快で小気味良い音を立て、感心した兵士達が囃し立てた。
 少女の夜色の瞳が挑戦するような視線を投げかけ、勝負事には負けず嫌いのマイクロトフがにやりと笑う。ナナミの真似をして、まずは簡単なステップを踏み出す。軍靴特有の硬い音が、木の床に上手く響いた。
「俺も混ぜろー!」
 女性と談笑していたシーナが堪え切れないとばかりに飛び込んできて、彼もナナミに劣らない足捌きを披露し出す。
 突然の闖入者に観客は喜び、手で拍子を取り出した。
「団長さんも上手いじゃねぇか!」
「ナナミさん最高―っ!!」
「頑張ってシーナ君〜」
 三人のそれぞれで見事なタップダンスにパーティーは益々盛り上がり、楽器の演奏に力が入った。

 聞いた事がないのに、何故か懐かしいと感じる音楽。
 人々の心からの笑顔。
 暗い時代の中にも、人は逞しく生きている。
 それを目の当たりにしたマイクロトフは笑った。
 心の底から。


 翌日、マイクロトフは宴に参加していた一般兵や女性達より良く話し掛けられ、話を聞きつけたカミューに羨ましがられたという。
 その後彼は、ナナミと一緒に出来るだけそのパーティーに参加するようになった。







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