彼女が好きだった。
 だから、悲しかった。

同盟軍本拠地屋上にて




 ぴかぴか新品の赤マントが、彼の背中で揺れている。
「はい、もう動いて良いよ〜」
 ナナミがそっとムクムクの喉の下から手を離し、慈しむように頭を撫でた。
 新しいマントは、ナナミが空を飛ぶにはどれが一番良いのかと生地を厳選し、丁度良いサイズにひと針ひと針縫ってくれたものだった。
 ムクムクは胸いっぱいに広がる感謝の念を伝えるべく彼女に抱きつく。
「ム――――!!」
 嬉しげな獣の声が屋上に響き渡り、昼寝をしていたフェザーを叩き起こした。
「……キュオォン?」
 いささか寝惚けたような声が聞こえ、ナナミはムクムクを抱いたまま首を捻る。屋根の上に乗って昼寝をしていたはずのグリフォンが、半分寝惚けているような視線を向けてきていた。
「フェザー? あ、ムクムク起こしちゃった?」
「ム、ムム?」
 多くの時間を同じ場所で過ごす"屋上仲間"の安眠妨害をしたとあって、ムクムクは動物にしては非常に豊かな表情を困ったものにする。
 少女とむささびの困った顔に、優しいグリフォンは笑むように目を細めた。大丈夫だよ、という事らしい。意図を察したのはムクムクが先で、彼がナナミの腕を叩いてその旨を伝える。ナナミはもう一度フェザーを見、ようやく得心がいったのかにっこり笑った。
 昼寝の途中だったグリフォンは、なぜムクムクがあのように大きな声を出したのか気になって、一人と一匹がいるテラスに降りてくる。
 大きな彼までやって来ると、元々小さなスペースがすっかり埋まってしまった。
「ムム、ムームー」
「キュオオオン」
 種族の違うむささびとグリフォンは、果たして言葉が通じるのだろうか。二匹の遣り取りを見るナナミはそう思ったが、口に出しては何も言わない。彼女も、言語の違う動物達とは意思疎通が出来る方だった。
 幼少の頃など、動物は人間のように悪口は言わないし嘘をつかないので、彼等の方にばかり近寄っていったものである。
 そんな懐かしく悲しい過去を少し思い出したナナミは、どうやらしっかり意思疎通したらしい二匹に笑いかけた。
「今度、フェザーにも何か作ってあげるね」
「キュオン!」
 普段落ち着いたそぶりのグリフォンが、本当に嬉しそうに答えてくれたので、ナナミは嬉しくなって彼の首のあたりを撫でた。
 今まで昼寝をしていた彼の羽は、太陽の光を吸収してふわふわしている。
 その感触はくすぐったくもあり気持ち良くもあり、ナナミはくすくす笑ってフェザーを撫で続けた。
 彼は気持ち良さそうに目を細め、クルクルと小さく鳴き声を漏らしながら、ナナミに擦り寄る。グリフォンからはお日様の香りがした。
「ム――!」
 ナナミとフェザーのじゃれあいが続く中、突然ナナミに抱かれたままのムクムクが叫んだ。意外と器用な指で、ビシっと一人と一匹を指差す。
 なぜだか怒りに燃えている瞳に、ナナミは心底分からないといった様子で首を傾げた。
「なあに? ムクムク」
 少女の顔にピッタリと嘴をくっつけたままフェザーも、彼女同様問いかけの視線を向けてくる。
「ム、ムムム……ムー」
 身振り手振りで説明しようとするが、どうも混乱しているらしく上手く伝わらない。困り果てたムクムクの取った行動は、フェザーの背中に抱きつく事だった。
 本当のところは密着し過ぎている一人と一匹に離れて欲しいだけなのだが、ムクムクの思いは当然ながら伝わらい。
「そっか。ムクムクも混ざりたかったのね」
 ナナミは納得した、といった様子でムクムクとフェザーを撫でる。
 胸中複雑なムササビだったが、とりあえず自分も彼女の視覚に入れてもらったので良しとした。
「みんなで、お昼寝しよっか」
 此処へ来た時から赤い目だったナナミは、獣達の毛皮と羽毛に触れているうちに眠気を誘われたらしい。
もう半分ほど閉じかけた瞳で、ムクムクとフェザーを見上げる。
 二匹はそれぞれの方法で笑って快諾し、まずフェザーが横たわる。彼は自分の横腹を嘴で示した。
「……寄っかかれって事?」
「キュオオオン」
 フェザーは意を得たりと頷き、ナナミを促す。
 しばらくためらっていたナナミも、彼の好意に甘える事に決めたらしい。そろそろと床に膝をつくと、そっと頭を乗せた。
「う、わ……!」
 あまりの心地良さに、ナナミは声をあげた。
 彼女はしばしもぞもぞと寝心地の良い位置を探し、やがて納得したのかムクムクを招き寄せる。素直に誘いを受けたむささびはナナミの腕の中に収まり、それを見届けた少女はあっという間に眠りに落ちた。
 あまりの寝付きのよさに、獣達の方が感心してしまったぐらいである。
 だが、二匹は知っていた。
 ナナミがこれほどまでに眠たい理由を。

 彼女の大切な義弟(おとうと)で軍主のリオウは、現在遠征に出ている真っ最中である。今回は城の警備も疎かに出来ない理由があったので、戦力として有能なナナミを置いていったのであるが、少女本人はやはり義弟についていきたかったらしい。
 リオウが心配で、ナナミは最近寝つきが悪いらしかった。
 青い顔と赤い目をした少女を、誰もが心配している。
「……ムー」
 ナナミの腕の中から抜け出したムクムクが、彼女を起こさないよう小さな呟きを発した。
 悲しく切ない響きの、呟きを。
「キュオウ」
 まだ起きていたフェザーが、種族の違う友人を慰めるように鳴く。
 ムクムクの大きな瞳から、ぽろぽろぽろぽろと透明な滴が流れていた。


『―――彼女が、好きなのです。
 だから、悲しいのです』
『私もです』
『彼と、もう一人の彼も好きなのです。幼馴染みです。
 彼女の気持ちは、僕が一番分かるでしょう』
『……そうですね』
『彼女は、いつまで歯を食いしばって戦って、人知れず泣き続ければ良いのでしょう』
『……ええ、本当に。
 本当に、そうですね……』

 彼等の遣り取りを、彼女は知らない。


 後日、この一件を知ったジークフリードが、二匹に殴り込みをかけたというのは、同盟軍の歴史に残らなかった事件である。





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