亡き義父(ちち)と同じ匂いのする人だ―――そう、思った。

武人と少女


 ナナミは高いところが好きである。
 屋上、展望台、木の上……展望台はともかく、その他のところは見つかると大抵怒られてしまう。当然、高いところはイコール危ないところだからだ。
 しかし、いくら怒られても懲りないナナミは、今日も今日とて……城壁の上を歩いていた。
 最初に城壁に登った時は、見張りの兵が泡食った様子で声をかけてきたので、それからは見つからないような場所を選んで歩いている。
 時には予想もしない警備の穴や外への抜け道を発見して、シュウに教えてあげた。
 この事により軍師は、ナナミの高いところ登り(歩き)を黙認している。彼は少女の万一の危険よりも城の警備状態向上を優先する男だった。
 心地良いゆるやかな風が吹いて、ナナミはふと顔を上げた。
 ―――と。
「あ……」
 目が合った。
 驚きに見開かれた目と。
 ナナミの立っている城壁からは遠い、中央棟の2階。窓を空けて空気の入れ替えでもしていたらしい、元ハイランドの高名な将軍と。
 直感で、ナナミはさっと身を宙に躍らせる。下に人がいないのは確認済みだ。軽やかに着地して、一目散に走った。
 予感というよりは確信が、少女を動かしていた。

 建築されたばかりの道場。
 その屋根の上に、ナナミはいた。
 やはり高いところを選ぶあたり、まだそういった場所にいたいようである。
「まさか、追いかけてきたりはしないよねぇ……」
「誰がですかな?」
 声は当然ながら下から発せられた。
 ナナミはしばらく固まっていたものの、やがて恐る恐る下を覗く。
「先程と同じく、素晴らしいところにおられますな」
 怖い顔で優しく豪快に笑う将軍に、ナナミは恐怖から首を竦ませた。
「―――このっ、馬鹿娘! 何をそんな危険なところにおるれますか! さっさと降りてきなさい!!」
 笑顔から一転凄まじい怒号が炸裂し、怖いもの知らずと周囲に思われている少女は屋根に背中から倒れこんだ。
 やはり、とかなり苦味の強い笑いを浮かべて。

 そろそろと屋根から降りたナナミは、当然というかキバの厳しい視線を受けていた。
「城壁の上も屋根の上も危ないという意識はおありですな?」
 軍主の義姉(あね)という立場であるナナミに、キバは敬語を使う。自分は偉くないのだからと言ってみたところ、けじめですよと返されしまい、以来ナナミは居心地の悪さを我慢して年長者からの敬語を受けていた。
「はい」
「分かっているならよろしい。何故登られるのです?」
 頭ごなしに怒ったりしないところが、"父"に似ていた。
 キバを見ながら回想するナナミに気付いたのか、彼は訝しむように眉をピクリと動かす。
「ナナミ殿?」
「あ、ごめんなさい。ふざけてるわけじゃないんです。
 ただ、キバ将軍はじいちゃ……義父に似ているなと思って」
「――ゲンカク殿に?」
「義父も、しょっちゅう高いところにいた私を見つけてはまず降りなさいって言って、怖い顔をして理由を聞いたんです」
「そうでしょうな」
 当人は良い。好きでしているのだから。
 けれど、それを見る方にはたまったものではない。
 そんな心情を込めて、キバはナナミを見る。少女はわずかにばつが悪そうな顔をしたが、真っ直ぐに視線を返してくる。
 どれほど叱っても、また同じ事を繰り返すのだろう。
「高いところにいると、空が近くなるような気がするんです」
 常人ならば余りの強さに怯んでしまうキバの視線を、真っ向を空受け止める少女は語る。
「広い空を見ていると、私はちっぽけで、私の悩みもやっぱりちっぽけだって気がします。そうすると、何だまだ頑張れる、何とかなりそうって、そんな気がしてくるんです」
 気休めですけど、と少女は付け足して笑ったが、そうする事で気持ちの前に傾け、自身の安定を図っているのなら大したものだとキバは思った。
 これを聞かされた亡き英雄は、きっと今の自分の気持ちと同じだろう、とも。
 キバはナナミの頭を軽くポンポンと叩いて、もう怒っていない事を示した。
「あまり高いところには行かれますな」
 はい、と返事だけは良いナナミは、まだ頭に置かれているキバの手を見て、ふにゃあ、とこれ以上無いぐらい無防備に破顔した。
「やっぱり、じいちゃんと同じ」
「私は父君に似ていますか」
「顔形じゃなくて、言う事とかする事が」
 恐らく、"父親"の取る行動など似通っているのだろう。
 クラウスという、ナナミよりも年上の実子を持つキバにしてみれば、この少女は娘のようなものだ。
「さて、とりあえず」
 キバは、さすが猛者らしい素早い動きでナナミを小脇に抱えた。
「え? え?」
「やめろとは言いませんが、危ない事をした罰はきちんと受けて頂きますぞ」
 軍主の義姉だろうがなんだろうが、心の中で"娘"と認定してしまった相手に遠慮はしない。
「そ、そんなところまでじいちゃんと同じじゃなくても良いです――――!!」
「不肖このキバ、目の黒いうちは父として子の躾をさぼる気は毛頭ございません」
 じたばたするナナミを完璧に押さえ込み、キバは悠々と足を進めていく。

 その日同盟軍本拠地では、ナナミを抱えて移動するキバの姿と、その後キバの執務室で書類の区分けをさせられているナナミが目撃されたという。





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