小さな世界だった。 箱庭みたいなものだった。 それでも、自分達にはそれが全てだった。 同族 パチパチと、火の爆ぜる音がする。 まだ陽があるうちに集めてきた薪をいくらか焚き火の中にくべながら、火と見張りの番をするクライブは顔を上げた。 彼の視線の先には、毛布をショールのように身体に巻きつけたナナミが立っている。 「……どうした」 口調は疑問系ですらない。 クライブはどこも何も普段と変わらないようでいて、全く異なっていた。 「ん……眠れなくて」 ナナミの声音も、弟や仲間へのものとはどこか違う響きをしている。 ゆったりとした歩調でクライブのもとまで歩くと、すぐ隣にぺたんと座り込む。男はそれを当然と受け入れ、寒さを凌ぐ為に身を包んでいたマントを広げた。 男の動作にナナミは微笑み、彼の側に近付いて片方だけ立てられたクライブの膝に頭を乗せる。すかさず濃緑のマントが少女を包み込んだ。 「ありがとう」 仲間の前では元気が良く明るかった彼女は、今は消えそうなぐらい儚い。昼間の少女しか知らぬ者は、余りの違いに仰天するだろう。 薪が熱に負けて割れる音が、夜の森にやけに響く。 仲間達の寝息は小さいものばかりではく、森に棲む生き物達の声もしないわけではない。なのに、焚き火の音ばかりがやけに大きい。 「うとうとしてたらね、幸せな夢を見たの」 瞳を閉じて、ナナミは寝ている人々を起こさないよう小さな声で語る。 全てを諦めたような笑みにも、クライブは何も言わない。 「とてもとても幸せな夢」 それがどんな夢だったのか、ナナミを少し知る者なら聞かなくとも分かるだろう。 彼女の"幸せ"といえば、おとうと義弟である軍主と、そして幼馴染みであり今の敵であるハイランド皇王と、三人一緒に仲良く暮らす事なのだ。 「酔えれば、良かった」 泣きそうな顔。 決して掴めない幸せを目前に見た、絶望する者の顔。 まるで鏡でも見ているような気分だ、とクライブは思った。覚えのある顔は、かつての自分がしていたもの。 うなされた夜。 目覚めれば虚しいだけの、過去の夢。 今も決して忘れたわけではなく、しばしの時間が経て、それを凍結させる術を覚えた。 目の前にいる少女は、少し前の自分そのままだ。 「夢は、夢だからこそ幸せなんだ」 癖のあるナナミの髪を指で梳きながら、クライブは無表情で抑揚なく呟く。 わずかにくすぐったそうに目を細めるナナミだが、拒む所作は一切しない。逆に、体温の低い大きな手に擦り寄った。 その目は、餓えて乾いたまま。 クライブと同じ目。 二人は年齢も性別も姿形も全く違うが、見る者が見れば双子のように感じただろう。今この時、二人の纏う空気は全く同じものだった。 組織と田舎町の違いこそあれ、二人は閉じたられた小さな世界に住んでいた。 勿論良い事ばかりではなく、むしろ悪い事の方も同じようにたくさんあったが、そこは生活の場で、そこ以外にいるところなど知らず、出る事も無く、同じような日々を過ごし死ぬのだと漠然と考えていた。 しかし、そんな根拠のない思い込みはいとも簡単に崩された。 愛する人によって。 もっともそれは、彼の、彼等の、彼女のせいでは決してなかったけれど。 世界は絶対ではなかった。呆気なく壊れた。 今まで世界の外を、別の世界を知った。 本当の世界は、あまりに大きなものだった。 「私ってね、ひどいのよ」 クライブの手に甘えながら、ナナミはぽつりと零した。 「キャロを出てから知った事――知り合った人達、その人達と共有した全てと引き換えに、前の生活に戻れるというなら、私はきっとそれを選ぶの」 小さな世界。 知らない事は多く、仲間達のような優しい人々も知らなかった自分。 だけれど、確実にあったささやかな幸福。 「みんな大好きなのに、私はリオウとジョウイを選ぶの。 戦争のない世界よりも、戦争があってもいいから二人が戦わない世界を」 好きな人々を選べないと自分を責めるナナミに、クライブは何も言わない。 何故なら、彼も同じ選択をするから。 「ひどい子だね」 声は掠れていた。 この優しい娘は、身を引き裂かれるような痛みを感じているのだろう。 「責めるな」 昼間の戦闘でかいたのだろう汗と、ほんの微かに甘い匂いのするナナミの髪に頬を押し付けながら、クライブは言う。 「何ものにも変えがたい望みは、誰にでもある」 クライブにも。恐らくは、すぐ側で寝ている仲間達にも、城にいる多くの人々にも。 「俺も望む。かつての日々を。あいつを追い求めた5年の月日の全てを奪われても」 ―――そんな奇跡は起こらない。 クライブもナナミも知っている。 それでもなお考えて、自身の選択に嫌悪する。 優しい仲間達。賑やかで温かな城。平和の為に、生きる為に必死になる人々。 多くの与えられたもの全てを引き換えにして、得られると言うのなら、自分達は差し出すだろう。 箱庭の世界を取り戻す為に。 「私達ってどうしようもないね」 「ああ」 青年と少女の顔に浮かぶのは諦めきった表情。 踊る炎が、冷めた顔を赤く照らす。 「新しい世界は作れるかな」 「作る気など起こらん」 「……そうだね」 パキン、と薪の割れる音。 どこかで夜行性の鳥が鳴き、それが合図だったかのように二人は目を閉じる。 壊れた世界のかけらを握り締め、今すべき事を胸に抱いて。 そんな彼等の行く末を照らすものは―――無い。 |