血みどろの戦場にありながら、その瞳は透明だった。

知らない人



「リオウ!!」
 聞き間違えるはずのない、耳よりも身体に馴染んだ声が自分を呼んだ。
 その切迫した響きが何を意味するのか承知していたリオウは、ただでさえ戦闘時という事で緊張している身体と精神をさらに緊張させるも、それが取り越し苦労に終わる事も理解していた。
 そして、予想通り背後で何かが地面に倒れ込んだ音がする。
 相手をしていた敵を打ち倒し、少年は振り返る。すぐ側の地面には、今まさに事切れたと分かる、首にナイフを生やした敵兵がいた。
 視線を死体から上げれば、延長線上に義姉(あね) がいる。
 自分を呼んだのは彼女。そして、助けてくれたのも彼女。
 ほんの少し前までは出来なかった投げナイフで、鮮やかに敵を仕留めてくれた。
「リオウ、ほう呆けるな!」
「は、はい!!」
 冷静な声が、一瞬飛んでいたリオウの意識を現実に引き戻す。
 慌てて周囲を見渡すと、すぐ側で流れるような動きで敵を打ちのめす少年の姿。
 その鮮やかな棍捌きは見惚れてしまうほどで、揺ぎ無い背中は彼が誰なのか雄弁に語る。
 このジョウストン都市同盟の地にも名高き、トランの英雄。
 リオウと似た立場を過去に経験した、リオウよりも遥か先に立つ男だ。
 やや強引に仲間に誘って、以来積極的ではないけれど同盟軍に協力してくれる。基本的に戦争には参加しないのだが、同盟軍本拠地滞在中に事が起こってしまい、成り行きで手伝ってくれた。
「リオウさん、さがって下さいっ」
 アップルが背後から呼んでくる。その声が有無を言わさぬものだったので、リオウは仕方なく後退した。
 アップルと合流する直前に見えたのは、次の敵と相対しているティルとナナミの姿。
 その後ほどなくして、小規模な戦いは終わりを告げた。
 それぞれの隊を纏めている仲間達から伝令やら報告やらが飛び込み、アップルと共にいくつかの指示を出して軍を引き上げる準備に掛かる。
 小さな戦いとはいえそれなりの兵士を連れてきているし、負傷者や死者の回収もある。多少の時間が掛かりそうだった。
 軍主としての仕事がようやく一段落した時に気付く。
 ナナミが、いない。
 慌てて周囲を見渡すと、少し離れたところに姿を認めて息をつく。
 アップルに一言断りそちらに向かえば、ナナミのすぐ側でティルと合流する。
「……リオウ」
「はい?」
 革命戦争を成し遂げた少年は、無表情ですっと腕を上げた。
手袋に包まれた右手の人差し指が差すものは、今迎えに行こうとしていた義姉の背中。
「あれが……ハイランド皇王と君している事だよ」
 滑らかに囁かれた言葉に、リオウはぎょっとして彼を見上げる。
 そこには、トラン共和国を出奔して尚、その国において最高権威を約束された"王"の顔があった。
 その圧倒的な空気に、リオウは恐る恐るナナミに視線を戻す。
 彼女は遠くを見ていた。
 どこか、遠くを。
 優しい茶の髪は返り血で赤黒く染まり、わずかに露出している白い顔や手足も泥や血に塗れ、服は元の色彩が分からないほど変わっている。
 それを気にするでもなく、背筋を真っ直ぐ伸ばして立つ姿にリオウは言葉を失った。
 ――なぜだろう。
 目頭が急激に熱くなる。

 あんな義姉を、リオウは知らない。
 先程の、敵を射たナナミの瞳がフラッシュバックする。

 真っ直ぐに相手を見て、命を奪う。
 禍々しい事をしているというのに、その瞳ある透明さよ。
 あれほど澄んだ目で、この血生臭い戦場を見詰める事はさぞかし辛かろう。

 それをさせているのは、自分と―――ジョウイ。
「ティルさん……」
 同盟軍の生ける希望の声は震えていた。
「君は目を逸らしてはいけない」
 穏やかに、不老の覇王は目を眇める。
「その痛みが、君を駆り立てる」
 ティルの琥珀の瞳は、消しきれない痛みがあった。
 汗に濡れていたリオウの頬には、止められない涙が流れていた。


 あんな義姉の姿を作り出してはいけなかった。
 あんな義姉を知りたくはなかった。

 ―――一日も早く戦争を終わらせる。
 後のデュナンの英雄が、固く心に誓ったある戦の日。





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