手を組んで祈りを捧げる喪服の少女。
 まるでよく出来た絵画のような光景で―――同時に、とても忌まわしかった。


喪服の戦乙女



 その日ハンフリーは、軍主名代の護衛任務で国境に近い村に訪れていた。
 彼がそういった仕事に不向きなのは自他共に認めていたのだが、いかんせん適している人間達が他の仕事で借り出されているので仕方がない。同盟軍は常に人手不足なのである。
 いつもの傭兵然といった格好ではなく、動きを制限しないが、それなりにきちんとした席に出ても大丈夫な暗い色彩の服を着せられたハンフリーは、村長と話している軍主名代――軍主の義姉(あね)を見る。
 二人の会話は儀礼的なもので、少し慣れた感も受けた。
 どちらも、初めてではないからかもしれない。それ以上に、よくある事だからかもしれない。
 無表情で淡々と話を進めていくナナミを見続けていられず、ハンフリーは目を眇めた。
 彼女の、軍主名代業務が行われるようになって久しい。
 以前からの準備の甲斐もあって、ナナミは驚くほど上手く名代を務め上げている。
 軍主は準備段階の時点から断固反対していたが、首脳陣全員がその必要を認め、決議の上決定された事であり、時にはリオウの命令にも否と言うナナミ自身が良しとしていた為、少年の意見は却下された。
 実際、彼女が名代で外交を三割ほどこなしてくれるので軍主の仕事はかなり軽減されており、彼は怒りと喜びどちらを現せばいいのか苦悩しているそうだ。
 普段はあくまでもリオウの義姉としての振る舞いを取る彼女は、この名代業務に限っては徹底的に「軍主の義姉」としての姿を取り続ける。
 それは当然ながら全く正しい事であったが、普段の少女を知るハンフリーにすれば強烈な違和感をもたらすものでどうも息苦しく、傭兵はいつもと違う服の襟を引っ張った。

 葬儀を無事に終えたナナミはその場でまたたきの手鏡を使わず、不思議がる村人達に送られてゆっくりと歩き出した。
 ハンフリーも内心では首を傾げていたが、例によって言葉にせずに黙って追従する。
 両者無言でしばらく歩き続けて村を一望できる丘に辿り着き、そこで、ようやくナナミが口を開いた。
「何も言わずに行動してすみません。なんだか、お城に帰りたくなくて……」
 微笑した顔があまりに苦しそうだったので、ハンフリーは小さく「いや」と否定した。
「さっきあの村にいた時に気付いたんです。この丘から、あの村全部が見えるなって」
 黒い手袋に覆われた指が、ゆうるりと先程まで滞在していた村を指し示す。
 彼女の言う通り、確かにこの場からは村の全貌を見る事が出来た。
 小さくも無いが大きくも無い、何の変哲も無い村だ。村の外れには教会があり、その隣には墓地がある。墓地にはまだ人がいるようで、ぽつぽつと人影が見えた。
「世界はこんなに綺麗なのに、人は争うんですね」
 ハンフリーに言うようでいて、独り言のようにナナミが言う。
 丘からの眺めは、戦場で神経の荒みがちな兵士である男も感心する美しさがあった。
 ナナミの視線が死者の眠る地で止まったかと思うと、きつく手を握る。
「人はあんなに人を愛せるのに、憎しみ合って争うんですね」
 真新しい墓の前で泣き叫ぶ人々が見える。恐らく、亡くなった兵士の縁者であろう。
泣きそうな顔になった彼女は手を組んで、目を閉じた。
「私は今まで討った敵を恨んでいないけれど、あの子達を害そうとする人は許さないでしょう。だから……人は争うのでしょうか」
 答えを求めない彼女は、つい数十分前と同じように祈り始める。
 口の中で呟かれる言葉が時折漏れ、ハンフリーの耳にかろうじて届いては空気に散っていく。
 祈る言葉の少ない傭兵はもう述べるものを持たず、少女だけがひたすらに一心に世を去った人々に思いを捧げていた。


 そんな時間が、どれほど過ぎただろう。
 近付いてくる気配に、歴戦の(つわもの)達は同時に顔を上げた。
「…………20、ってとこですか」
「ああ」
「タイミング良過ぎますよね」
 十中八九、同盟軍幹部の自分達狙いの人間だろう。
 言葉は無くとも分かり合う二人は、自然さを装いながら戦闘態勢に入りだした。
「ここら辺、反対勢力とか野盗とか出るって情報ありましたか?」
 相手に聞こえないぐらいに小さな声でナナミが訊ね、ハンフリーは「いや」と否定する。
「丁度良い。捕まえましょう」
「そうだな」
 気配を消しているつもりらしい相手の出方を完璧に読み、先制攻撃を仕掛けるべく二人は同時に己の武器に手を掛けた。
 ――――勝敗など、最初から決まっているようなものだった。同盟軍の最精鋭の二人と、本拠地に存在さえ届かないような悪党である。相手にならない。
 そしてそれは覆る事無く、ナナミとハンフリーは無傷で勝利を収めた。
「あ、困ったわ。この人達を縛るロープがない」
 言いつつ、ナナミは最後に倒した男の背を踏みつける。ぐるりと足首を回してにじり踏む容赦の無さから、彼女の不機嫌さが窺えた。
 どこかに隠していたらしい彼女の武器の鎖が、チャラ、と鳴る。
「仕方ないか」
 一言そう言ったナナミは、またもどこに隠していたのか不明の小さなナイフを手に、上等なドレスに刃先を当てる。ハンフリーが訊ねる暇も与えず、彼女は足首まであったドレスを引き裂いた。
 さすがのハンフリーも驚愕で目を見開き、ナナミを凝視する。
「シュウさんに怒られるかなぁ。でも必要な事だから見逃してくれるかも」
 ぶつくさ言いながら、彼女は相応の値段がする黒衣を手頃な太さと長さの縄にするべく切り裂いていく。白い足が露わになり、少し踵のある黒靴が見えた。
「ハンフリーさん、すみませんけど手伝ってください」
「………………ああ」
 ようやく我に返った大男は、最初だけのろのろと、その後は機敏に行動した。
 ぐったりしている荒くれ共を一纏めにし、ナナミが作った喪服の成れの果てで縛り上げる。これが意外と大変な作業なのだが、二人は手早く終えた。
「葬儀の間じゃなくて良かった……」
 心底安堵したようにナナミは息を吐き、やや疲れた様子で村を見遣る。
 国境に近いが故に同盟軍の兵士が常駐し、日々緊張状態を強いられている集落を。
 村人に被害が出ないからか、と判断したハンフリーの思考を呼んだかのようにナナミが首を振る。
「あそこがどんな場所か、ハンフリーさんにも分かるでしょう?」
 弔いの鐘を鳴らす教会の傍ら、白い石が点在する場所を指しながらナナミは男を見上げた。
「あそこは、必死に生きた人達が眠りにつくところです」
 冷たくも温かくも無い口調が、穏やかに空気を震わせる。
 この少女が、こんな喋り方をするのをハンフリーは初めて聞いた。
「それを荒らす人は許せません」
 風が柔らかな茶の髪を揺らし、見るも無残な黒衣がはためいた。
 ―――二十近くも年の離れている幼い娘を、この時ハンフリーは確かに美しいと思った。

 最後に一度だけ村に視線を向けたナナミは、何かを吹っ切るように歩き出そうとしてハンフリーに抱き上げられた。
「……………………!?」
 腕に横抱きされたナナミは、しばしの時を要して事態を理解する。
「な、な、何ですか、ハンフリーさん!?」
「足を、痛めているだろう」
 ナナミがスカートをロープにしている作業中に見えた足首は、履き慣れないせいか、それとも明らかに不向きな靴で戦闘を行ったせいか、真っ赤になっていた。
 あれでは、歩くのも辛いだろう。
「無理をすれば今後に響く」
「そ、それはそうですけど……私重くてっ!」
 ハンフリーの扱う武器によりも軽そうな娘がそう言っても、説得力は欠片も無い。彼は早々に口を噤み、沈黙でナナミを強引に諦めさせた。
 いわゆる「お姫様だっこ(やや袋担ぎ寄り)」されたナナミは顔を赤らめながら、仕舞っていたまたたきの手鏡を取り出す。
「帰りましょう!」
 恥ずかしさのあまり、少女は慌てて手鏡を使用した。
 今現在の自分達の状況が、本拠地の人々にどのように見られるのか全く考えもしないで。

 その日同盟軍本拠地では、様々な叫び声が上がったという。




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