華奢な肩。小さな背中。
 こんな身体で、何を守ると言う?


夕日と桃色



 何度目か数える事も止めた戦闘が終了し、事後処理を終えた本拠地が勝利の宴へなだれ込みつつある夕刻、少年と少女は城から少し離れた場所に生えている一本の木の根元に腰を落ち着けていた。
「リオウの治癒が嫌なら、せめて医務室へ行けよ。なんで僕が手当てしなきゃいけないのさ」
 ルックは容赦のない毒を吐きながら、持参した紙袋から医療道具を取り出す。
 彼は軍主の命令じみた頼みごとにより仕方なく、しかし自分に与えられた事にわずかばかり感謝して、城を出たナナミを追いかけて捕まえたところだった。
 一方、見事捕獲された少女の方は、バツが悪そうな、むくれた子供のような顔をしてそっぽを向いている。
「ほら、とっとと服脱いで。これ以上手間かけさせるんじゃない。それとも脱がされたいの?」
「……はぁ〜〜〜い」
「捨てて帰るよ」
 さすがに異性の前で肌を曝す事には抵抗があるナナミではあるが、ルックの容赦ない視線に刺されて渋々服を脱ぎだした。

 戦闘で血みどろになってしまった道着のくすんだ桃色よりも、少し明るい桃色のシャツ。右肩の部分は、ルックが軍主から治療を命じられた原因である怪我から少し血が滲んで変色している。
 それが、ルックの内心で舌を打たせた。
 シャツの下から現れたのは、日頃から遠征に加わり、モンスターと戦い、戦場に出ているというのに、白いナナミの肌。多少日に焼けてもいるのだが、それでも白い。
 そんな白い肌のあちらこちらに見受けられる、大小の傷痕。
 彼女以外の全ての者は、この傷を見て顔を顰め。
 彼女だけが、この傷を見て微笑む。
 傷などなく、綺麗に着飾って黙っていれば良家の子女でも通るだろうに、彼女は道着に袖を通し、武器を片手に戦場に走ってい。
 それが今の世界であり、ナナミが置かれた状況でもあった。

 上半身下着だけになったナナミは、恥じらいのせいで顔や耳を染め、それを堪えるように俯いて唇を噛む。
 誰にも見せないだろうその姿にルックの嗜虐心と情という二つが揺さぶられ、シーソーゲームを繰り広げた。
 結果、勝ったのは―――――。
「こんな怪我して」
 少年の唇から滑り出る、熱に浮かされて掠れたような声。
 どうにか勝ったのは、自分にもあったのだと驚いてしまう情の方だった。
 自分がなぜこんな声を出しているのか分からぬまま、ルックは唇をそっとナナミの肩の怪我に寄せる。
「また傷が残るよ。"オンナノコ"なのに」
 消える傷。消えない傷。全ては痛々しい怪我の痕。
 舌が触れるそこからは、鉄の匂いと味、しかしどこか甘美な香りと味を感じる。
 自分よりも小さな少女が、自分でさえ辟易する戦場で負う痛みの痕に、ルックは強く目を閉じる。

「――良いもん」

 ナナミの体温だけを感じて、何も見ていなかったルックの耳朶を涼やかな声が叩いた。

 現実に引き戻された彼がナナミの肩から顔をあげ少し離れたところ、少女は傷を負っている事など感じさせない敏捷な動きで立ち上がり、今まで目の前にしていた夕陽を背にルックを見下ろす。
「傷が残ったって良い。
 これは、私が頑張った証明。あの子を守れたって証」
 だから彼女は傷を見て微笑み、他の者はその痛さに顔を顰める。年頃の娘がその身に醜い傷痕を作り続ける事を、歓迎する者はいない。
 本人以外は。
「私は誇るだけ」
 言葉通り誇らしげに。
 そして、幸せそうに微笑む。
 時に対象者の心情を顧みない自己犠牲を幸せと言い切る顔をする少女を、ルックはなんて愚かなのだろうと思った。

 ―――愚か故に、とても愛しい。

 夕陽を背負ったナナミは、肩の怪我から血を滲ませて宣言する。
「私は守るわ。
 絶対、絶対弟を……あの子達を、守ってみせる」
 無上の幸福と、同じぐらいの痛みを湛えた笑みを浮かべながら。


 沈みゆく太陽の光は赤く。
 その赤は血と似ていて、その赤は炎とも似ていて。
 彼女が最も嫌うその色は、けれど彼女を最も美しく見せる。


 ナナミは弟達を守るだろう。
 命を賭けても。
 守りきる事が、出来るだろう。必ず。

 華奢な肩に矢が刺さっても。小さな背中を切り裂かれても。


 いまだ口の中は彼女の血の味で占められる少年は、ぼんやりと思う。

 自分が最期に吐き出す言葉は、彼女にあてたものだろう。
 自分が最期に呼ぶのは、彼女の名前だろう。

 そして。
 自分が最期に見るのは、今見ている空と似た空に違いない。

 この時ルックはいずれ訪れる未来を悟った。


「あんたの目的の為にも、その傷を手当てした方が良いと思うけど?」
 彼は手を差し出す。
 赤一色に染め上げられ、炎の化身になったかのような少女に。
「その……迷惑かけて、ごめん」
 絵画の中の女神の如き印象を与えたナナミは、困った顔をして謝ってくる。
「何を今更」
 呆れたような溜息をついたルックは、重ねられた手の温もりに少しだけ笑った。


 出来る事ならば。
 自分が最期に感じるのは、この温もりが良い、と。
 こればかりは奇跡でも起きない限り実現しない願いだと知っていたから彼は望み、祈った。
 神以外の、何かに。


 たとえば、桃色のシャツを着る誰かに――――。





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