その二人を見た時、お似合いだな、と思った。
 けれど、何か違うな、とも思った。

その二人



 大量の洗濯物の山を抱えたアンネリーは、届け先に赴く途中でふと足を止めた。
 進行方向に、仲の良い友達の姿を認めたからだった。
 向かう先に彼女がいる事に小さな喜びを感じつつ、アンネリーは止めてしまった歩みを再開する。
 ナナミは、アンネリーも歩く渡り廊下の手摺に肘を置き、両手に頬を添えた姿勢で誰かと話していた。誰なのか不思議に思ったアンネリーは、まだある距離を考えて声をかけるのを控える。
 彼女の傍らに見える、淡い金髪。ゆったりとした緑の上着。
 人見知りのきらいがあるアンネリーも顔を知っている、トラン共和国からの使者――シーナその人だ。
 二人は何かを楽しく無さそうに話しており、どうにも違和感がある。どちらも顔の整っている人達だから絵的にはとても良いのだが、何かが変だ。
 アンネリーがそんな事を考えていると、シーナはいつもと同じ少し軽そうな微笑を浮かべて話を終わらせ、ナナミの頬に口付けて去っていった。
「ナ、ナナミちゃん……!?」
 女性好きだと公言して憚らないシーナは、確かに女性ならば誰にでもよく声をかけるが、人前では基本的にそれ以上の事はしない。一応それぐらいの事は知っているアンネリーは、少年の行動に仰天して、洗濯物の山もなんのそのでナナミに駆け寄る。
「わっ、危ないよ、アンネリーちゃん!」
 当然ながらぐらついた"山"を、ナナミが慌てて支えた。はた傍から見ると、まるで少女二人が洗濯物を抱き締めているような図である。
「…………あ、ありがとう」
「どういたしまして。そんなに急いでどうしたの?」
 さりげなくアンネリーの持つ洗濯物の半分を自分の腕に抱えたナナミは、いつもと変わらない様子で訊ねてくる。
「ナナミちゃんこそ、どうしてそんなに平然としてるの?
 さっき、シーナ……さんに、その、キス、されてたでしょ?」
 見てしまった光景に、当事者ではないアンネリーの方が混乱している。言葉は不自然に途切れ、顔は真っ赤だ。
「ああ、あれ」
 一方のナナミはけろっとしたもので、洗濯物を届けてちゃおう? とアンネリーを促す。手にしていた仕事を思い出した彼女は、承諾して歩きつつも疑問を口にする。
「付き合ってるの?」
「まさか!」
 否定の言葉に事実を隠そうとするものが何も含まれていなかったので、質問をしたアンネリーがホッとした。
「じゃあ、さっきのは……?」
 恐る恐る訊ねる可憐な歌姫に、同盟軍最精鋭たる少女は眩しい笑顔を返した。


『じゃれあいかな。悪友の』


「―――だよね?」
 上流階級出身で舌の肥えている大統領子息がチョイスした、特上の紅茶が入ったカップを片手にナナミはゆうるりと首を傾げた。
「んー、言ってみればそんな感じじゃない?」
 私達って悪友だよね? と真正面から聞かれたシーナは、事も無げに答える。
 その日の午後、ナナミは予告されていた通りシーナに捕まり、レストランのテラスに連行されていた。
「あ、でも友達か、俺等?」
「違うかもね。私達お互い大嫌いだし」
 表情を全く変える事なくナナミは言い放ち、シーナもうんうんと頷く。
「悪友って一応は友達だろ? じゃあ違うじゃんか」
「だね。友達じゃないもん」
 アンネリーちゃんに訂正しておかなきゃ、とナナミは頭の中で付け足すと、芳醇な紅茶の香りを楽しむ。
「嫌いなのに、何でこうやって一緒にお茶飲んでるんだ?」
「シーナ君が無理矢理連れてきたからでしょ。で、何の用なの?」
「そりゃ勿論、可愛いお嬢さんとお茶をする為」
 ナナミはさも馬鹿馬鹿しいと鼻で笑い、まずはストレートで紅茶を飲む。
 彼が自分をそういった対象に入れていない事は承知している。だからこそ、ナナミはこうやって一緒にいるのだ。
「私も暇じゃないの。お茶を奢ってくれるのは嬉しいけど、用が無いなら飲んで帰っちゃうから」
「ダメ」
「―――シーナくぅん?」
 埒のあかない少年に、さすがのナナミもやや腹立たしさを覚えて彼を睨みつける。彼は行儀悪く机の上に突っ伏し、上目遣いでナナミを見てきた。
 母性本能の強い女性なら、シーナのいかにも困っています、という視線に負けただろう。だが、ナナミは彼に関してはよほどの事がない限りは情けをかけない。
「やっぱ、あんたには効かないよな」
 しばらくはあの態勢のままでいた彼は、冷ややかな視線で見下ろしていたナナミに面白そうに笑いかけ、身を起こすとようやく自分もカップを手にした。
「慰めてくれる女が欲しいなら、誰か他を当たってね」
「それも考えたんだけどさー。なんか今、誰も近付けたくなくて。鬱陶しいんだよ」
「あ、そう」
 一杯目の紅茶を飲み干し、ティーポットから新しい紅茶を注いだナナミは、カップに砂糖とミルクを入れながら答える。
 テラスに他の客がいなかったのは幸いだったかもしれない。
 こんな遣り取りを見聞きしたら、赤の他人ならともかく、顔見知りの仲間達は声をかけずにいられなかっただろう。
「あんたはさ、いつまでそうやって人を拒んでるつもり?」
「……さぁ?」
 すっとぼけるナナミに、シーナがすっと目を細める。
 普段軽薄な振る舞いの彼が真剣な顔をすると中々の美男子に見えるのだが、普通の少女が顔を赤らめるところでもナナミは変わらない。
「つまんない人生送ってるよなぁ」
「余計なお世話。
 そういうあなたこそ、いい加減本命にアタックしたら? ふらふらしてるから、いざという時相手にされないのよ」
 棘だらけの言葉の応酬が続く。どちらもこたえた様子はないし、気にするようでもない。

 ――シーナはナナミが嫌いだった。
 誰が想いを告げても全く応える事無く、それどころか邪魔としている節すらあるのに、多くの人に好かれている彼女が。
 ナナミもシーナが嫌いだった。
 女と見れば誰彼構わず口説き、あまりに軽く愛を囁いては別れを繰り返す、そのくせ人に余り恨まれない彼が。
 両極端過ぎたのかもしれない。
 たった一つの目的の為、我武者羅に走って脇目も振らないナナミと、それほど大きな目的もなく、ただの成り行きでここにいるシーナは。

「あんたの事大嫌いだからさ、あんたといるとどんだけ落ち込んでてもこんちくしょうって踏ん張るんだよな」
「奇遇ね、私もよ。あなたが隣でいると、無様な姿は見せられないって気が張るの」
 嫌いだからこそ。
 お互いの存在に価値がある。

 二杯目の紅茶を、一杯目よりはゆっくりと飲み干したナナミは、いつものふてぶてしさが戻ってきたシーナを見てふっと溜息をつく。
「復活したの?」
「ま、七割くらいは」
「じゃあもう平気ね。後は他の女の子と遊んで自力回復して」
「へーへー。冷たいこって」
 言いながら、シーナはナナミの首の後ろに手を回す。ナナミが次の行動を察知して腕を振り払うよりも早く、彼は細い首を自分の方に引っ張った。
 触れる唇と唇。
 やはり、この場に他に誰もいないのは幸いだった。
 ガリッ
 鈍い音がして、顔を顰めたシーナがナナミから離れる。一拍遅れて、形の良い唇の端から一筋の血が流れた。
()っ……乱暴だな」
「自業自得よ」
 シーナの血を、お茶の時間と言う事で手袋を外していた指で拭ったナナミは、それをぺろりと舐めながら立ち上がる。
またね(・・・)、シーナ君」
 冷淡な言葉を捨て置き、歪みながらも艶やかな笑みを浮かべた彼女はさっさとレストランを去っていった。

「―――次こそ泣かせてやる」
 新たに流れてくる血に触れながら、シーナはひどく楽しそうな笑みを浮かべた。





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