燃えるような夕焼け。 赤く染まる川原。 風に転がる「Volevo un gatto nero」 Tango solare 耳慣れたイタリア語に、ふと骸は足を止めた。 歩いている場所が場所なら気にも留めなかったが、ここは日本。あの歌曲がこうも高らかに歌われるのは珍しいだろう。 歌の聞こえる方へ視線を向ければ、ずいぶんと特徴的な集まりが見えた。 髪がもじゃもじゃとした牛柄の服を着た子供と、辮髪を結ったカンフー服の子供。そして一人だけ普通の少女。 「Non era una giraffa di plastica o di stoffa:」 中学生ぐらいの少女が少し拙い発音で歌う。牛柄の服の子供が嬉しそうにユニゾンすると、もう一人の子供が軽やかに跳ねた。 言葉から、もじゃもじゃ頭の男児がイタリア出身なのだろうと検討がつき、このあたりでは目を引く少女の美しさは見たが、それだけ。 興味を失った骸は歩みを再開する。 背後から、楽しそうな歌声と歓声がいつまでも聞こえていた。 その翌日、曖昧な記憶となっていた夕焼けの中の少女に、一枚の紙切れがくっきりした形を与えた。 拉致したランキング小僧から得たランキングを元に、取り急ぎ現地の情報屋に調べさせた並盛中学の報告書。 求めていた「並盛中ケンカランキング」にランクしている人物の詳細情報の他、指示していない「並盛中美少女ランキング」の上位者のプロフィールもついていた。 骸達が女を必要としていると思ったのか、単に洒落っ気を出したつもりか、どちらにしても興味が無い少年はたいして見ずにその束を捨てようとして、ある一文で手を止める。 美少女ランキング一位、笹川京子。昨日、夕暮れの中で歌っていた女。 備考には、ケンカランキング五指に入る雲雀恭弥、獄寺隼人、山本武の知人・友人であり、笹川了平の妹であると記されている。 場合によっては利用価値があるかもしれない。 ただ見かけただけの存在から、顔と名前が一致する人間へ変わった女の事が書かれた紙面を、骸は面白そうに指で弄んだ。 その日の午後、偵察も兼ねて訪れた並盛町でチョコレート専門店を見つけた骸は、何気なく足を踏み入れた。 世界中にチェーン店のあるそこは、確かな味と落ち着いた空気、シックな内装なども手伝って男一人でも入りやすい。 チョコ好きな彼としてはそこそこ気に入っており、慣れた様子でトレーを手に取った。 定番商品から日本限定商品まで揃っている棚を確認しながら、いくつかのチョコレートをトレーにのせる。 骸の好みの品であると同時に、固形チョコレートは非常食に向いている―だからこそ自分の好物になったのかもしれない―。根城にした廃墟や別に用意するマンションなどに備蓄するのも良いかと思って頭を巡らせると、季節限定の品が目に入った。 数量限定、無くなり次第終了となるらしいその商品、せっかくだから食べてみようかとトングを差し出したところ、別方向から出てきたトングと接触する。 「あっ、ごめんなさい!」 「…………いえ」 反応が遅れたのは、別のトングの持ち主の顔に見覚えがあったからだ。 思わずまじまじと見てしまう、その小さな顔。今朝確認したばかりの美しい造作のそれは、紛うかたなき笹川京子のもの。 「どうぞ」 「いえ、君こそ」 「私は大丈夫ですから」 「僕も大丈夫なんですが……そうですね、これは贈り物ですか?」 そうじゃない事は彼女の様子から分かっていて問う。案の定、首を横に振った。 「僕も自分のものです。提案なんですが、これをどちらかが買って、半分に分けませんか?」 彼女の顔がぱあっと明るくなった。 ――それが、骸の計算とも知らずに。 暦上は秋でも、九月になったばかりの今日はまだまだ暑い。 どうにか公園の木陰がかかるベンチに滑り込んだ骸と京子は、途中で買ってきた飲み物で喉を潤わせていた。 「暑いですねぇ」 「そうですね、日本の湿気は頂けません」 生まれ育ったイタリアの地は、気温こそあまり変わらないが湿気が少なく過ごしやすかった。 「外国の方ですか?」 「イタリアから最近やって来ました。この辺りを知るためにぶらぶらしているんですよ」 「そうなんですか。私は海外行ったことないです」 他愛無い事を話ながら、骸は保冷剤入りの袋から例のチョコレート菓子を取り出す。 菓子を骸が、飲み物を京子が買うことで、料金精算は済んでいた。若干少年が払う方が多い事を少女は気にしたが、そこは男の見栄だと押し切った。 「好きなだけ取ってください」 袋に入ったままのそれを手渡す。彼女は素直に頷いて受け取り、袋から出した菓子を綺麗にふたつに分けた。 「はい、どうぞ」 「どうも」 欲がないのか遠慮しているのか、平等の量の甘いものを口に運ぶ。 クラッカーに似た生地を噛み砕くと、間からとろりと濃厚なチョコが流れてくる。食感が良いこの限定品は当たりだと、骸は簡単な感想をもって飲み下した。 「美味しいですね」 骸が一口で食べたものを、少女はまだ半分しか食べ終えていなかった。 「ええ。食べられて良かったです」 限定品は今日で終了すると店のポップに書かれていたので、三割は本気の社交辞令を言った。 「私は笹川京子っていいます。並盛中二年です」 「僕は黒曜中三年の六道骸です」 「隣町なんですね」 「ええ。さっきも言った通り自分の住む町の周辺散策しているんですよ。なにぶん来たばかりなので、地理に疎くて」 上手に嘘をつくコツは、真実を混ぜる事。骸はにこやかに言葉を続ける。 「君は並盛に住んでいるんですか?」 「はい。ここで育ちました」 「僕はしばらくこの町に通うつもりなので、もしかしたらどこかでお会いするかもしれませんね」 「ふふっ、もしかしたら、ですね」 並盛中のマドンナとやらが鈴の音転がるような笑い声を溢す。 なるほど美しい少女だ。 思春期の男が騒ぐのも頷ける。 お互いの飲み物が終わるまで他愛無い話をして、キリの良いところで骸は立ち上がった。 「では、僕はこれで」 「はい。ありがとうございました」 「さようなら」 「さようなら」 一度も振り返らなかった。 しかし口の中で、彼女に向かって言っていた。 また明日、と。 ――並盛中ケンカランキング上位者と近しい女。 親しくなっておけば、何かしら役に立つかもしれない。使えなくても良い暇潰しにはなるだろう。 骸は口角を上げて、アジトへの道を進んだ。 |