02




 翌日の天気はやはり快晴。
 九月になったばかりでは秋の気配など感じられない。日本の湿気に辟易しながら、骸は今日も並盛の町を歩いていた。
 根城にしている黒曜の町など来た日に把握している。今重要なのは、ボンゴレ十代目候補がいるというこの地の方だ。
 イタリアと比べると少なく、分かり辛い「裏」の世界を確認しながら、昨日触れた意識を探す。
 "契約"こそしていないが、笹川京子の精神波長―手触りとも言える―をしっかりと確認しておいた。位置を捕捉するのは容易い。
 彼女は、昨日のチョコレート専門店とは反対方向、おもちゃ屋や本屋、駄菓子屋と子供の姿が多い場所に一人歩いていた。
「京子さん」
「え? あ……六道、先輩」
「骸で良いですよ。名字を呼ばれるのはあまり馴染みがないので」
「骸さん?」
「グッド。――こんなところで何をしているんですか?」
 問うと、彼女は俯いた。
 昨日の晴れやかな笑顔とは正反対の曇った表情。
「今日、知り合いのお家にお邪魔したんですけど、いつもいる子の姿が見えなかったので、ちょっと気になって」
 すうっと周囲を見遣る視線に翳りが映る。
「心配ですね」
「毎日会うわけじゃないし、その子も時々どこかへ行くみたいだから、今回もそうなのかとも思うんですけど……お家の人も何も言ってなかったし。
 でも、なんだか気になって」
 自分でも説明出来ない感覚なのか、京子が眉を八の字にする。
 タイミング良く起きている出来事に骸は高らかに笑いたい衝動を堪えた。不安に揺れている人間はつけこみやすい。
「僕と一緒に、その子を探してみませんか?」
「そんな。悪いです」
「良いんですよ。探せば色々なところも回るでしょうし、君の不安も少しは紛れるかもしれない」
 骸は自分の顔の造作の有効性を知っている。
 努めてやわらかな声を、心配そうな表情を出せば、この年頃の娘など簡単に落ちる。
 京子はこちらの真意を量るようにじっと目を合わせてきた。
 透明度な榛色の瞳。
 あれを涙で濡らし、負の感情で染めたらどれほど美しいだろうか。
 胸中の考えなどわずかたりとも浮かべず見返す骸に、彼女は彼女なりに判断をつけたらしい。こくりと頷いて、少年の提案を呑む事を示す。
「宜しくお願いします」
「こちらこそ。案内、お願いしますね」
「はい」
 こうして、少年の打算と少女の懸念が渦巻く道中が開始された。


「あそこの喫茶店は男の人でも入りやすいです。雑貨も売ってるんですよ」
「ユメミグサ、ですか。確に落ち着いた外観をしていますね」
「隣の花屋さんは、珍しいお花が多くて、ブーケとかアレンジメントとかがとっても素敵なんです」
「利用したことが?」
「母の日に贈りものをした時に」
「親孝行ですね」
 お世辞だが言ってやれば、彼女は照れ笑いを浮かべる。
 花屋の店先には鉢植えから切り花まで、色とりどりの花が所狭しと並んでいた。
 骸とは縁のないものだ。名前もありきたりなものしか知らない。
 咲き誇る花々を千切って踏みつければ、一瞬湧いた訳の分からない衝動も晴れやかになるかもしれない。
「カーネーション、スズラン、スイトピー、水仙、バラ……あ、まだヒマワリもありますね」
 物騒な方向へ転がる少年の思考を遮るかの如く、京子が花を指差して名前を挙げていく。あまりにタイミングの良い割り込みに、喉がひくと動いた。
「――さすが、女の子ですね。良く知っている」
 少女は微笑する。その笑みにまた少し鼓動が速くなる。
 京子が天然らしいのはこれまでの会話で分かっていたが、それだけの女でもなかった。時折、洞察力や観察力の良さを窺わせてはっとする。
 骸が意識を切り替えようと前を向くと、京子も話題を転換した。
「じゃあ、明日はホームセンターとかスーパーとか回りましょうね」
 歩いていて、こちらの環境も嘘と真実を混ぜて話した。
 骸の両親は不在で、同居人が歳の近い男子が二人。その為、遊ぶ場所もだが生活用品が買える店が知りたいと。
 京子が、黒曜と並盛の中間辺りにあるそういう店の案内を買って出てくれたのだが、今日は時間がないので、なんとなく明日また会う事になっていた。
「お願いします。黒曜にもそういった店はあるんですが、あまり種類豊富ではなくて」
「良いんですよー。困ったときはお互い様。これもなにかの縁です」
 可愛らしく両手を握る彼女は、脇を通っていった小柄な影に視線を流す。それを見て、骸も演技だが眉を寄せた。
「探している子はいないようですね」
「はい……やっぱり、私の勘違いかも。ごめんなさい、骸さん」
「いえ。僕は色々見て回れて良かったですよ。地元の人間ならではの情報も聞けましたし」
 俯いて謝る彼女に気にしないよう言っていると、どこからともなく音楽が聞こえてきた。
 やたら大きく響く人工らしい音の連なりは、夕方五時を知らせるチャイム。
 日が高いせいで感覚はまだ早い時間のようだが、彼女と歩き出してそれなりに時間が経過していたらしい。
 骸にも他にやる事がある。そろそろ頃合だろう。
「家の近くまで送ります」
 そこまでしてやる事はないのだが、こちらの印象が良い方がいざ真相が分かった時に面白い事になる。
 骸は人畜無害そうな笑みを浮かべ、京子の遠慮や辞退を悉くやりこめた。反論出来なくなった少女は困り顔をしていたが、ある一瞬でふっと表情を消し、頷いた。
「……じゃあ、お願いします」
 まるで何か大変な事を決意したみたいな顔だった。


 夏から秋へ移り変わるこの季節、太陽はゆっくりと西へ向かう。
 町を見て回っていた先程まで会話はあまり途切れなかったが、今は何故かやたらと沈黙が続く。
 空気のどこかに、冷たい何かがある。
 例えるならピンと張られた弓の弦。ほんのわずかに傷をつければ最後、弓すら破壊する勢いで弾けるだろう。
 口元に薄い笑みが浮かぶ。さて彼女は何をそんなに緊張しているのか。
 京子の足が止まる。
「ここからすぐなので、ここまでで大丈夫です」
「分かりました」
 この道ならば黒曜にも戻りやすい。まさかそこまで配慮したわけではないだろうが、都合は良い。
「送ってもらってありがとうございます」
「女性に付き合って頂いた男の義務ですよ」
「じゃあ、また明日」
 深々頭を下げて礼を述べて別れの挨拶をした彼女は、三歩ほど歩いたところで立ち止まり、振り返った。
 骸をじっと見上げてくる。
 思い詰めた表情に、一瞬もう落ちたのかと思ったが、彼女の瞳はそういった熱を一切持っていない。
「何か?」
 だから問うた。その行動の意味を。

「――――――誰が目的ですか?」

 答えは、大きくはないがはっきりと、骸に届いた。

 刹那の思考停止。
 脳は迅速に状況を把握し、口は滑らかに動いた。
「何の事でしょう?」
 にこやかにしらばっくれる。
 まさか。こんなのほほんとした少女に気取られるはずはない。
「あなたが、私の知り合いの誰かが目的で私に近づいた事、分かってます」
 淡々と正確に、京子は骸の目的を言い当てる。
「言っている事が分かりません」
「――私は昔、兄を敵対視する人に利用されて、危険な目に遭わせました。
 もう絶対に間違えません。だから……分かるんです」
 断定の響きはあくまで柔らかく、されどこれ以上の誤魔化しは許さないと言っていた。そんなものは無駄だと。
 そんな彼女を、煙に巻く事は恐らく可能だろう。意識を操っても良い。彼女を丸め込む術は骸には何通りもあった。
 しかし少年は、そのどれも選択しなかった。
「クフフ」
 骸が右目を隠していた前髪をかきあげる。
 露わになった鮮烈な赤い瞳と深い青の瞳に京子が軽く驚いたようだが、視線は逸らさなかった。
 この、聡く、しかし強者を前にしている事に気づかぬ愚かな弱者の、無謀と一体の勇気に哀れみを表して、芝居をやめよう。
「あなたを甘く見ていたようですね」
 挑発的な言葉に彼女は動じない。わずかだが殺気も放っているというに、後退りすらしない。意外に胆が据わっているらしい。
「なぜ気付きました? そんな素振りを見せた覚えはありませんが」
「ええ。あなたは親切で、優しかった。
 とても楽しかった。私があなたといた時間に言った事は、全部本当です。私、演技なんて出来ません」
「それではなぜ、あなたはああもはっきりと言い切ったんです?」
「――完璧過ぎたのと、後は勘です。
 でも間違えないですよ」
「クッ。クハハハハハ!」
 思わず笑う。
 なんだこの美しい顔を被った本能の女は。
 愉快で仕方がなく、その分不愉快だ。骸の偽装はそう破られない自負がある。
「中々面白い女です、笹川京子」
 まだ笑いの形を取っている口元に手を当てて、相変わらず目を合わせたまま一歩も下がらない少女に向き直った。
「しかし短慮だ。聞けば僕が教えると思いましたか?」
「っ……」
 はじめて、京子の表情が揺れた。
 ほら。なにを危険視することがある。勘が良いだけのただの小娘だ。自分が誰に爪を立てたのか分かりもしない。
 緊張した少女に満足して、骸は殺気を霧散させる。
「もちろん教えません」
「骸さん!」
 非難の声になんの力があろう。
 骸は悠然と身体を反転させ、慌てる京子に背を向ける。
「せいぜい考えると良い」
 人は"おもちゃ"。
 中でも一際美しいお人形の苦悩は、さぞかし見物だろう。もっともそれをとっくり眺めるつもりは無いけれど。
 この一瞬の歪んだ顔で十分。
 いつの間にか当たりは薄暗くなっていた。風はまだ夏らしい生温さで、二人の頬を掠めていく。
「Arrivederci」(さようなら)
「まっ……!」
 反射的に追いかけてこようとする京子に、手加減のない殺気を叩き付ける。
 気の弱い人間は下手をしたら死ぬであろうそれは、素人の足留めには十分過ぎる。後ろで、ドサリと物が落ちた音がした。
 恐らく少女が腰でも抜かしたのだろう。
 やっと気分が良くなって、少年は空を見上げる。
 月も星も見えない。赤茶色に見える雲が、夜空の半分以上を支配していた。
「明日は雨ですかね」
 わずかに空気に湿り気がある。
 帰りがけに傘でも買っておくかと考えつつ、彼は並盛を後にした。




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