03 雨は骸の予想よりも良い振りで、夏の暑さでカラカラの町を濡らしていく。 元より真面目に登校する気のない骸は自主休校を決め、水嫌いの犬と面倒くさがりな千種も嬉々としてそれに従ったので、三人は黒曜ランドで思い思いに過ごしていた。 「ランキング小僧がハンスト?」 「はい。何も口にしようとしません」 「困った子ですね」 情報を流さない上にランキング能力も失い、ろくに睡眠も取ろうとしない少年は、とうとう食べる事すらも拒むようになったらしい。 まだ利用価値のありそうな人間だ。このまま死なせるのはいささか惜しい。 「一日ぐらい放っておきなさい。明日も食べないようなら、無理矢理にでも食べさせましょう」 「分かりました」 「何故そんな無意味な行動を取るのか理解に苦しみます」 素直にこちらが求めたボンゴレ十代目候補の情報を差し出せば良いのに。 骸は肩を竦め、作業に戻る。膝の上のノートパソコンは順調にユーザーの欲しい"モノ"をハックしていた。 「骸さん、俺らいつから並盛の奴等をヤるんれすか?」 ソファの上でゲームをしていた犬が、画面から顔を上げて訊いてくる。 千種はため息をつきながら自分の指定席へと退避し、骸は血気盛んな配下を宥める。 「まだですよ、犬。足場を整えないと、ね」 言いつつ、今度は不動産屋のホームページにアクセスする。この黒曜ランド以外にも隠れ家を確保するのが目的だった。 「第一、相手の顔も分からないのにどうやって消すのさ」 ランキングフゥ太の過去のランキングを手に、千種が目下の問題を述べる。 そう。ランキングは文字情報のみで、肝心の顔が載っていないのだ。その為、現地の情報屋を使って顔写真などを集めさせている。 上位の者はやはり名が知られているので既にほぼ判明しているが、下位はまだ分かっていない者が多い。 引き続き情報屋が調べている最中で、確実にボンゴレに近づく為、現在は辛抱して待つ時だった。 「遠からず動いてもらいます。まだ外の空気を楽しんでいなさい」 「はいれす!」 「千種も」 「ありがとうございます」 素直に頷く二人に目を細め、自分も久々の自由な世界を満喫しながら、骸は物件探しのネットサーフィンを再開した。 条件に合うマンションとアパートそれぞれが見つかり、空腹も激しくなった骸は、やっとパソコンの電源を落とした。 犬も千種もどこかへ―何も言わなかったので園内だろう―行っていたが、その代わり数分前にランチアが入室し、むっつりと椅子に座っていた。 「おや珍しい。あなたが僕と同じ部屋にいようとするなんて」 「もう消える。これを読んでいただけだ」 千種がまとめて置いていたランキングや情報屋の報告書をテーブルに戻したランチアは、苦々しくため息をつく。 骸の行動から外出するのを見て取ったせいか、普段三人組と一緒にいたがらない彼は腰を上げなかった。 「ああ。もちろん、あなたにも動いてもらいますよ先輩」 「骸……!」 声を荒げた男の顔が歪んでいた。いつだってそう。ランチアは「もうやめてくれ」と存在で訴える。 まだこれからだというに。 骸の望みは、まだスタートラインに立つ前なのだ。 「出てきます。今日か明日には帰りますので」 肩を落としているランチアは、何も言わなかった。 安いビニール傘を差して、周囲には三十代の大人に見えるよう幻術を使っている骸はこの日二軒目の不動産屋から遠ざかる。 目星を付けた物件は無事契約完了。 どちらも即日入居可能だったのは都合が良い。特にマンションの方は家具一式揃っているタイプなので、すぐに使える。 書類を濡らさぬよう注意しながら―と言っても、無くしてもさして困りはしない。所詮は仮宿であり、偽造した人物で契約したものだ―歩いていた彼は、適当に腹を満たそうと周囲に視線をやる。 そういえば、この道の角を曲がったところは待ち合わせスポットとして有名な銅像があり、少し先にはホームセンターがあり、その周辺は飲食店が多かった事を思い出す。 自然と足がそちらに向かった。 午前に比べたら雨足は弱くなったが午後もしつこく降っていて、夜になった今も止んでいない。そのせいか道を歩いている人は少なかった。 さて幻術を解こうかと思いながら右折した骸は、前方に赤い傘を見つけて術の解除を止める。 女物の鮮やかな色の傘。持ち主は、この雨の中でベンチに座っていた。 俯いていた彼女は骸の接近に気がついてか、顔を上げる。 湿気を含んでかしっとりとした黄朽葉色の髪。物憂げな榛色の瞳。長い睫毛が震え、自然に赤い唇はきゅっと結ばれていた。 その顔を、知っている。 「――笹川、京子」 思わず顔が歪む。昨日の今日でまた会うとは想像もしていなかった。 自分の名前が呼ばれた彼女は首を傾げて、やや間を置いて、口を開く。 「骸さん、ですね」 言われて、今の自分が元の十五歳の姿ではなかった事を思い出す。それでも彼女は誰であるか理解したらしい。 しかし幻術にかかっていないわけではないらしく、しきりに瞬きをしてこちらの姿を確認していた。 「珍しい事をする人ですね」 この雨の中ずいぶんとベンチに座っていたらしい。靴やスカートがひどく濡れている。見るに、数時間はここにいただろう。 骸の蔑みすら含む言葉に彼女は目を丸くして、それから唇を尖らせた。 「ひどい。約束しましたよ、私。 骸さんと」 確かに約束はした。 利用しようと近付き演技で笑っていた骸と、それを知りながら黙っていた京子とで交した。 「――馬鹿ですか、君」 呆れ返って、放り投げるように言う。 あんな別れ方をした人間との約束など、反古して然るべきだ。 「さすがに、ホームセンターに行くつもりで来たわけじゃないですよ」 「もしそんな気で来ていたら殺してますよ。あまりに間抜け過ぎる」 苛々してきて、殺気を振り撒きながら続きを促す。 何だこの女は。 骸の苛立ちを感じているはずの京子は、しかし平静だった。 「質問の答えをもらっていなかったので」 「質問?」 「はい。 ――『誰が目的ですか?』」 繰り返される昨日の問い。視線はやはり真っ直ぐに骸に向かう。 ふざけているわけではないらしい。だから余計に気に触る。 「聞いてどうするというのです」 本人にでも言ってやるつもりかと暗に言えば、京子はぱちぱちと瞬きをして、言った。 「守り……たいです」 「僕が目的としている君の知り合いを?」 「はい」 「何の力も持たない君が?」 「はい」 「ハッ」 嘲笑する。 平和な世界でぬくぬくと育った娘が、闇の世界で辛酸を舐めてきた人間を止められるものか。 怒りを孕む骸の視線に気圧されたのか、京子の肩がびくりと震えた。 俯き、そのまま泣くかと思いきや、少女は立ち上がり再度骸と向き合う。 「きっとあなたは強いんだと思います。私は歯も立たないで死んじゃうかもしれません。 けど、私は私の好きな人を守ります」 「――気持ちだけで守れるならば、それが果たせずに慟哭をあげる世の人間はいなくなるでしょうね」 甘い理想に胸焼けを覚える。吐きそうだ。 あまりの気分の悪さに、骸は酷い気まぐれを起こした。 人がいないのを良い事にあっさりと幻術を解き、別の幻を練っていく。まだ骸から視線を外さない京子は、格好の対象だ。 「そんな事は言えないようにしてあげますよ」 一歩踏み出せば、今まで身動ぎしなかった少女が過敏に後退さる。 危機を察知した野生動物のような反応に、この女はどこまで本能の生物なのだとわずかに呆れた。 傘を捨てて開いた距離を滑らかに一瞬で詰め、彼女の目の前に立つ。慌てて逃げようとする京子の腕を掴んで、力任せに引き寄せた。 赤い傘が宙に舞う。 「闇を見なさい」 「……っ」 小さく開いた唇に噛みつき、ぬらりと口内に舌を差し込む。見開かれる双眸と目を合わせて、先程から作り上げているマボロシを女に叩き付けた。 「っ……っっ……!!」 「クフ……」 触れ合っている舌が痙攣しているかのように動く。それを心地好く受け止めながら、さらなる汚泥を注ぎこんだ。 それは骸の過去。 実験、暴力、死、脱走、飢え、殺人、報復。 こちらの情報は与えず、相手の精神崩壊させないよう、見せるものは選んで。 少女が想像も出来ないだろう負の世界の一片を与える。 気付けば、骸の腕は京子の後頭部と腰を抱き、まるで恋人を離さぬ男のような格好になっていた。 ついでとばかりに少女とのキスを堪能し、小さくも淫らな水音を立てながら唇を離す。 雨はいつの間にか上がっていたが時間が時間のせいで周囲は暗く、この至近距離でようやく彼女の顔が細部まで見る事が出来た。 恐怖に引きつり、涙を流して気を失っているというのに、その美しさは健在だ。なるほど、ランキング小僧と情報屋の言っている事は確かなようだ。 腕にかかる重さを濡れたベンチに投げ捨てる。やや横にズレているが、上手く座った姿勢になった。どうせなら無様な格好になれば良いものを。 持ち主の手から離れた傘を拾い、畳んで京子の手元に置く。立ち去るまで時間、不自然な傘が見付かって騒がれたら面倒だ。 ついでに自分の傘も回収して、改めて京子の前に立つ。 目が覚めた少女がどうなっているのか、多少興味がある。廃人にはしていないが、世界や人間全てを拒むか、ゆるやかに狂っていくか。 昨日の別れたまま、ここに来なければこうはならなかっただろうに。 「……愚かな娘」 骸は笑い、身を翻して帰路につく。 今日は足止めをする必要がないのだと思うと、少し物足りない心地になった。 |