04 そこいらのコンビニで買ってきた安いライターで、煙草に火をつける。 裏社会で出回っている、茶色い紙で巻かれた若干のマリファナ入りの煙草は、海外から持ってきたものでたまに吸いたくなる嗜好品だ。 逃走時に追跡の手がかりとなる匂いが髪などにつくので、あまり吸わない事にしているが、最近どうも精神が波立っている。自然と手にしていた。 (この湿気、どうにかならないものですかねぇ) 授業中の屋上。貯水槽の影に身を横たえながら、骸は白い息を吐き出す。 学校には来たものの、あまりの残暑に授業に出る気など失せてしまい、堂々とサボタージュ中であった。 ――日本に来て六日。 足りない情報は揃い、獄中で衰えた気力体力も十分に回復した。 概ね順調に進んでいるだろう。予定通りか、むしろいささか早過ぎるぐらいか。 誤算があるとすれば、点滴による栄養摂取に懲りてようやく自分でものを食べるようになったランキング小僧の能力の喪失だろう。 あの子供の力があれば、マフィアの殲滅も随分と楽だったろうに。 まあ、能力はふいに戻るかもしれないし、今ある過去のランキングでも十分に使えるのだ。飼っている意味がないわけではない。 骸がそう結論付けたのを見計らったかのように、チャイムが鳴った。 気まぐれで出た授業はこの時間で終了。 さてこれからどうするか。 そろそろ動き出しても良いかもしれないが、気分が乗らない。 長くなってきた灰を風に飛ばし、様々な成分が入り混じった煙を肺に吸い込む。 アジトのひとつであるマンションの方に、置いておきたい品があった。買い出しに行くついでに、考えていた子供の契約者を見繕っても良い。 携帯電話を取り出し、千種と犬にメールを送信する。 今では身近な連絡手段。そういえばあの女とは会う約束をしたのに携帯番号やメールアドレスを交換しなかったと思い出し、考えた自分に苛立つ。 もう壊れたであろう小娘の事を思い出すなんて、どうかしている。 短くなった煙草を携帯灰皿に突っ込み、硬いコンクリートの床から立ち上がった。影から出た途端に刺さってくる日差しが目を眩ませる。 「―――鬱陶しい」 少年の呟きは、世界を凍らせるような響きをしていた。 何かイベントをやっているらしい。 骸がそう気付いたのは、色々と買い込んだドラッグストアを出てしばらくしてからだった。 「おかーさーん、待ってー」 「走らないのっ」 「うわああああん、買って買って買ってー!!」 「また今度ね」 「えー。その組み合わせ反則じゃね?」 「ジャンプに載ってたぜ? お前見てないだろ」 親子連れと子供が多い。 元々大きめの商店街で人は多い方だが、今日は普段と違った。 「はいはーい。今日は3時からヒーローショーがやるよーっ。みんな来てねー!」 「来てくれた子には素敵なプレゼントがあるからねぇ」 商店街の人間が声を張り上げて宣伝する。歩いているだけで、今日のイベントが何であるか、何がやるのか分かっていく。 子供の契約者を選定するには絶好の日だろうが、あまりにうるさい。 手早く決めて、こんな子供だらけの場所は早々と去った方が良いだろう。 「みー君も見て行く?」 「ううん。僕おにーちゃんと約束してるから帰るー」 前からやってくる親子連れ。あれで良い。 先ほどから盛大にアナウンスされているショーとやらに行かない、という発言が気に入った。 親子とのすれ違い様、鞄の中に隠した三叉槍を常人には見えないスピードで操り、子供の身体にわずかな傷を与える。 痛みを与えない攻撃だったせいか、子供は普通に歩いて行った。 あの年頃だ。親が気付いても、どこかで転んだぐらいにしか思われまい。 (さて) 用は済んだ。こんな騒音だらけの場所からはおさらばしよう。 骸は今までとは打って変わったスピードで商店街の出口を目指す。 と、そこへ。 「ランボさん登場―!!」 頭の悪そうな子供の声がした。 あまりに大きいそれは、いかな骸でもつい目を向けてしまうぐらいのもの。周囲の人間も同じように音源に目をやっている。 「――+*+−!!」 また別の声。理解出来る言語ではないが、独特の言葉から中国語あたりかと見当を付ける。 声は、もじゃもじゃ頭の牛柄の服の子供と、辮髪を結ったカンフー服の子供のもの。 二人を骸は見た事がある。 イタリア語の歌が流れるあの夕焼けの中にいた子供達。 彼等は彼等だけでなく、もう一人の人間と楽しそうにしていた。 もう一人――笹川京子と。 我知らず骸が唇を噛み締めると、子供達の後を追うようにやってくる人影がある。それを認めて、左右で違う色の双眸が鋭くなった。 「ランボくん、イーピンちゃん、走っちゃだめよ〜。おばさん追いつけないわ」 咎めながらものんびりとした口調。歩いてきたのは、少年の想像とは違う。 その事に、原因不明の激しい苛立ちを覚えた。 「今日は人がいっぱいだから、おばさんと一緒に歩いてほしいな。ね?」 「えぇー!」 「**!」 「ありがとう、イーピンちゃん」 辮髪の子供は素直に頷くが、もじゃもじゃ頭の子供が唇を尖らせる。今にも走り出しそうな後者に、保護者らしい女性は人差し指を立てて諭した。 「ランボくんの足が早いから、京子ちゃん追いつけてないのよ? ほら、まだここにいないでしょう。ランボくんは京子ちゃんをひとりっきりにしたいのかな?」 「したくないもんねっ。ランボさん京子といるんだもんね!」 「そうよね。ランボくんは良い男だもんね」 「うふふん。とーぜんなのらー」 「〜+−+」 辮髪の子供が、人ごみの誰かに声を掛ける。 ――あの女と同じ名前を呼んでいた気がした。 「イーピン、ちゃん。……おばさん、ランボくん」 少し弱々しい声音。通行人の間からふらりと出てくる華奢な影。 なぜ、一瞬で誰だか理解出来るのか。 「…………笹川、京子」 三日前に手酷く捨てた娘が、そこにはいた。 「ごめんなさいね、京子ちゃん。具合悪いのに」 「大丈夫です。体の調子が悪いわけじゃないですし」 「京子ー、抱っこー」 「はいはい」 もじゃもじゃ頭の子供の要求に少女は笑って応えてやる。 骸が上手く人の中にいるせいか、こちらに気付いた様子は無い。 子供を抱き上げる笹川京子の顔色は悪く、動作もよろよろしているが、確かに正常な精神を持って、骸の前に存在していた。 凡庸な娘には想像を絶するだろう闇を見せたというに、なぜ壊れていない。 湧きあがったのは怒り。 真っ先にきたその感情に疑問を抱く。面白いおもちゃだと興味を持つ程度の感想を持つのが己だろうと、骸は自身に言った。 「……そう。また遊んであげても、良いかもしれませんね」 駒にはならなかった不出来なおもちゃ。 床に叩き付けたはずなのに、なぜかまだそこにいるビスクドール。きちんと壊してあげなくては。 骸は嗜虐的に笑う口元を隠し、気配を消して四人の後を追跡した。 確固とした精神が成立していない子供を操るのはとても容易い。 あっさりともじゃもじゃ頭・辮髪の子供達をマインドコントロールする事に成功した骸は、二人を使って簡単に京子を呼び出した。 保護者らしき女性は元より買い物があったとかで、子供達に行動を起こさせる前に別行動になった事も骸には都合が良い。 無邪気な子供の暴走を装いながら、人の少ない道、いない場所へと導いていく。 体調が悪いらしい京子はやや辛そうに、けれどきちんと子供達を追ってくる。骸の元へと、歩いてくる。 散々歩かせて、京子が疑念を抱き始める頃には終点。 骸は道の突き当たりであるこの場所で、塀に背中を預けた姿で彼女を迎えた。 「―――また会いましたね」 「!!!」 「いらっしゃい。地獄の入り口に」 今度こそ堕としてあげましょう。 暗く深い闇の底まで。 |