05




 元々良くなかった顔色がみるみる青くなって、その身体は震えだした。少女の顕著な反応は滑稽で、くつくつと少年は笑う。
「ランボくん、イーピンちゃん!」
 まだ骸の元へ歩いている子供達に気付いて、京子が叫ぶ。
 慌てて二人を止めようとするので、あえて立ち止まらせ、振り返らせてやった。
「思ったより元気ではないですか」
 塀に寄りかかっていた身体を起こす。それだけで京子の身体がビクリと揺れる。
「僕の術が失敗したかと思いましたよ」
 そんな事はありえないと分かっていながら、相手をいたぶるだけ目的のみで言う。哀れな少女は身を守るように自分を抱いた。
「てっきり壊れていると思ったんですが、意外と図太いんですね。
 どうですか、"世界"は」
 少女が想像もしなかっただろう闇。
 人はあまりに醜く、奪い、傷つけ、殺し、裏切り、踏み躙る。
 猫が獲物の鼠を食べないで弄ぶ気持ちを理解しながら、骸は京子を追い詰めていく。
「ああ、それとも。まだ正気でいられるという事は案外受け入れられるタチですか?」
「――平気なわけ、ないでしょうっ!」
 京子が爆発した。
 途端に、大きな瞳から涙がぼろぼろと零れ落ちる。
「あれからっ、暗いところは近寄れないし、眠れないし、ご飯は食べられなくて……人が、怖くて……ッッ!」
 剥き出しの感情。叫ぶ様は見苦しい、はずなのに。
 どうして、彼女の美しさは増していくのだろう。
「ならば、何故君は立っていられるのですか?」
 どうして。
 自分は彼女を嬲り殺さず、ぽつりと問いかけるのだろう。
 肩を上下させて息をしていた京子は深呼吸を繰り返し、落ち着いてから視線を合わせてくる。
 桃色の唇が動いた。
「あなたが見せたものが全てではないと、知っているからです」
 その断言は静かだった。
 しかし、少年の体を震わせる強さを持っていた。
 骸が見せた幻は、映画のようにフィクションだと思える代物ではない。少女は確かに世界の汚さを、獣よりも酷い人間の本性を感じ知ったはずなのに。
「あなたが知る人達が人間(ひと)の全てではないと、知っているから」
 怯えて泣きながら、まだ澄んだ目をして骸に訴える。
「私は、私を育ててくれた人達の愛情を知ってます。周りの人の優しい気持ちを、信じてます……!」
 骸に叩き付けられたものを全部は認めないと、小さな体で抗う。
 だから。
「では証明してください」
 暗闇の子は、やさしく微笑んだ。


 マインドコントロールした二人は、とても便利な子供達だった。
 牛柄の服の子供はその頭に多くの武器を隠し持っており、カンフー服の子供は体全てが凶器だった。
 前者にはナイフを持たせ、後者は身体に身についている構えを取らせる。
 狙うは、事態が飲み込めていない娘――笹川京子。
「君が人の愛や情を信じるならば、僕に操られた子供を助けてあげてください。
 その、想いとやらで」
 くるくると三叉槍を回しながら語りかける。子供達はじりじりと京子へと距離を詰めながら、骸の命令を待っていた。
「イーピンちゃん? ランボ……くん?」
「―――殺れ」
 命令一下、子供達が走り出す。
 先に出たのはもじゃもじゃ頭。走るのも動作も遅く、京子はバックステップで避ける。近くに格闘技をかじっている者がいるのか、彼女の動作は、会得はしていないが良く見知ってはいる、そんな印象を受けた。
 そしてそれは、自分の力でなければなんの意味もない。
「ランボくんっ」
「余所見をしてはいけませんよ」
「っ!!」
 京子を襲ったのは、ランボとやら後ろに隠れていたカンフー服の子供の蹴り。子供の技だが威力は十分。少女の軽い身体は吹き飛ぶ。
 ザザザザ、とコンクリの上を華奢な娘が滑っていく様は、普通の人間が見れば痛々しいに違いない。
「イーピン、ちゃ……」
 あっという間に砂と埃まみれになった京子は、小さな加害者を苦しそうに見つめる。
「のんびり座っていて良いんですか?」
 にこやかに少年は忠告する。気付いた京子は慌てて転がり、イーピンとかいう子供の追撃をかわした。
 立ち上がった彼女は、置かれている自分の状況に息を飲む。
 武器の宝庫のランボの手には手榴弾。ピンはたった今抜かれた。
 骸にはそれが大して威力がないものだと分かっているが、素人の京子は当然知らないだろう。
 逃げるに違いない。自然な行動だ。
 そうして彼女が動いた時は、自らの言葉を証明出来なかった代償に殺そう。
 楽しみさえしていた少女の逃亡は、しかし。
「――――ランボくん、危ない!!」
 全く逆の行動で示された。

 手榴弾を持った子供に飛びかかる少女。
 危険物を手から叩き落として、近くにいたイーピンも抱きこんで自分よりも小さな存在を身体で庇う。
 驚くほどの素早さで、わずかの迷いもなく京子は動いた。
 ランボの手から離れた手榴弾は骸のいる方向へ転がってきて、仕方なくそれを空高くに投げて無効化する。
 元より殺傷効果の低いタイプのもの。周囲一体には骸の強力な幻術がかけられているのもあって、辺りの人間は誰もこの場所へやって来なかった。
 遠くもなく近くもない場所で爆発した手榴弾の光と振動を感じたのか、おそるおそる京子が身を起こす。
 なんとなく、骸もその視線の先――まだ少し煙が見える空を見上げた。煙草を吸っていた時とは随分と顔を変えている。
 もう少しすれば、太陽は赤くなっていくだろう。
 日本に来た日に見た、あの夕焼けのように。
 あの日川原で歌っていた三人は今、骸の前で傷だらけになっている。
「ランボくん、イーピンちゃん、怪我は……」
「おっと。その子達はまだ僕の人形ですよ」
 抱きしめていた二人を立たせて、無事を確認しようとする京子の言葉を遮る。
 なぜだか苛立ちは消えかけていた。その代わり、胸を静かにする何かが身体を渦巻いている。
「さあ。救ってくださいよ、笹川京子」
 再びそれぞれの構えを取るランボとイーピン。
 おかしな事だが、先程より操る感覚にぎこちなさが生じている。まるで子供達の抵抗にあっているような。
「骸さんっ、やめて!!」
 さすがに学習したのか、京子もいつでも逃げられるような体勢を取っていた。
 逃げられる、と言ってもそれはこの場から去るものではなく、あくまでも子供達の攻撃をかわす為のもの。骸の期待したような行動は、彼女は死んでもするまい。
 少年が戯れをやめないと理解した京子は唇を噛み締め、子供達に向き直る。

 三人がそれぞれ互いの出方を窺う中、動いたのはイーピンだった。
 京子との距離を詰め拳を突き出すと、少女の身体ががくんとその場に座りこむ。
 操ってみて餃子拳とやらの正体が分かったが、分からない京子は超能力にでもかかったような気分になるだろう。
 動かない身体に呆然とする彼女に、先程より大きなナイフを持たせたランボと、油断なく攻撃態勢のままのイーピンを近づかせていく。
 切れ味鋭いあれを、やわい肉に刺し込めばもう終わりだ。
 刻一刻と死が近づいてくるのを感じているはずの京子は、とうとう諦めたのか俯いた。
「ランボくん。イーピンちゃん」
 発せられた音に骸が望むような命乞いの響きはなく。
「大丈夫だよ」
 一言、一文字ごと、子供達のコントロールが利かなくなっていく。
 顔を上げた彼女は微笑んでいた。
 いつか見た絵画の中の女みたいに、なにかやわらかなものが溢れる姿。
 操っているはずの二人は、骸の意に反して走っていかない。のろのろと歩みを進めて、よやく京子の前に辿りつく。
 イーピンは既に構えを解いて、ランボの手からはナイフが落ちそうだった。
 マリオネットの糸が切れていくような、と言えば良いのか。子供達にかけている天界道が解けていく感触が分かる。
 骸の術が、あんな小娘と子供に負ける。
 小さな二人を、傷だらけの少女が抱き締める。
「私の言葉を、聞いて」
「―――++*++!」
「ふ、う、あああ」
「大丈夫。二人は何にもしてないよ」
 重ねられる言葉。その優しさに、骸の身体の奥のなにかが軋む音を上げる。
「認める、ものか……」
 それが許せなくて、少年は崩れゆく術の欠片を無理やりかき集める。右の赤い瞳が激しい光を放った。

 トス

 呆気ない音。
 衣と肉を裂く、小さな小さな音。
「え……?」
 子供達の手と手が大きなナイフを押して、京子の左の脇腹に押し込んだ。
「クッ。クハハハハハハ!」
 信じた少女。答えた子供達。解かれていく術。しかし最後では力によって捻じ伏せられる。
 愛情も友情も暴力の前には無力で。
「いい加減屈しなさい、笹川京子」
 その腹は痛かろう。人の理性も意地も勝てない、生き物の本能が露わになるだろう。子供達を投げ捨てるが良い。
 骸の見たいものはいつまでも繰り広げられず。
 自分の知りたくないものを、あんな少女が体当たりで突きつける。なんと腹立たしい事か。
「だい、じょうぶ」
 ナイフを腹部に突き立てたまま、京子は苦しげに吐き出した。
「これ、は、悪い夢」
 マリオネットの操り糸が切れる。
 子供の手はナイフから外れて、京子に縋りついた。
「うっ、あ、うわああああああん!!!」
「+**++**+++ッッ」
 見たいもの。望むもの。
 骸が与えた世界の本当。まっさらな少女が染まり、行えば、さぞ笑えただろうに。
「ランボくんもイーピンちゃんも、なあんにもしてない。
 目が覚めたら、ぜんぶ忘れてるから」
 彼女はぎりぎりのところで踏みとどまって、少年の知らない世界を見せる。
「おやすみなさい。
 ――――ふたりとも、大好きだよ」
 細い腕が、子供達をぎゅうと抱きしめた。


 気を失った子供達を膝の上に寝かせ、微動だにしない少女へと歩を進める。
 骸は気まぐれで、視線を合わせるために彼女の傍に屈んだ。
「君は思想家か理想主義者ですか?」
 珍しく皮肉ではない、悪意を含まぬ質問を投げかける。
 返されたのは平手打ちだった。
「子供達になんて事を…………っ!!」
 京子の激昂。先程の叫びより、語調に激しい怒りが宿っている。自分の事以上に憤慨するなんて、つくづくおかしな人間だ。
 だがおかしいのは骸も同じ。
 少女にとっては本気の、骸とっては児戯に等しい簡単に避けられる平手を、あえて受けた自分が信じられない。
打たれた左頬がわずかに熱い。
「……利用できる者を、有効に使うのは当たり前のことでしょう?」
 言いながら、先端がわずかに彼女に刺さっているナイフを軽く押す。
 傷口を抉る行為に京子は苦悶の声を上げて身体を折り、抵抗する為か骸の肩に手を置いた。
 榛色の瞳は濡れていたが、奥に燃える炎がある。
「――っ、子供、は、慈しむ相手です。宝物なんです!
「ハッ。テロリストは子供を誘拐して兵士に仕上げますよ」
 嘲笑は、はっきりと分かるぐらい弱かった。
 こんなでは相手に通用しない。京子は弱々しく骸の身体を叩いた。
「それが全てじゃないって……どうして、認めないのっ!
 自分がされて嫌な事は、人にしちゃ駄目なんです。法律とか、他の誰かがやったとかじゃなくて、いけない事なんですっっ。
 どおして……そんな当たり前の事を知らないの…………!!」
 いくらでも否定する事は出来たはずなのに、少年の唇から滑り落ちたのは斬り捨てる言の葉ではなく。
「誰も……そんな事は、教えてくれませんでしたよ。自然と分かるような育ちでも、ありませんし」
 音が鼓膜を弱々しく叩く。
 自分の発言を認識して、愕然とした。
 なにを、どんな口調で、よりによってこの六道骸が言ったのか。
 信じ難いあまり、少女と自分を諸共消し去りたい衝動に襲われた少年を止めたのは、やはり京子だった。
「それなら、教えてあげます」
 そっと骸の顔を包む小さな両手。
 彼女が綺麗に笑む。
 今まで誰も骸に向けなかった、温かい感情の見える笑顔。
「駄目な事を怒って、良い事を誉めて、嬉しい事を喜んで、悲しい事に泣いて―――あなたが知らないこと、全部教えてあげます」
 そんなものはいらない、と。
 口にする前に、骸は京子と唇を重ねていた。





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