それはまるで、映画のような。


(エン)



 手が差し伸べられる。
 恭しく捧げられた手に乗るのは、白い手袋に包まれた華奢な指先。
 相手の応えを受けて少年は目を笑むように眇め、彼女を優先する意識をありありと感じさせる足取りで、しかし優雅に歩き出す。
 彼の完璧なエスコートに、少女も姿勢美しくヒールの音を響かせて歩を進めた。

「―――完璧だな(イッツ・パーフェクト)

 ぼそりとした小さな呟きを耳が拾い、それを誰が言ったのか思い至ったシンはびっくりしてたまたま隣に立っている教官を見る。
 数居るアカデミーの教師陣の中でも特に厳しいと言われる彼はめったに――否、今まで一度たりとも生徒を褒めたりした事はなかった。
 そんな教官の口から「完璧」などと零れたのだから、驚いてしまうのも仕方がないだろう。無表情しか知らない彼の顔がほんの少し綻んでいるような気がして、シンは驚愕を通り越して恐怖を感じながら、課題を進める仲間達に視線を戻した。

 現在、アカデミー室内運動場第3訓練ホールにおいて、一般教養と潜入捜査訓練というふたつの要素を持った授業が行われていた。
 教えられるのは、軍人には無縁ではないか、と思わなくてもないパーティマナー。と同時に、このような場における情報収集、隠密行動の方法である。
 故に男子生徒はタキシードを身に纏い、女子生徒はドレスで身を飾っていた。
 この授業はMSパイロットコースのものなのだが、この専攻は女子が絶対的に少ない為、オペレーターコースの成績優秀者が借り出されている。
 パーティでは男女一組が普通のワンセットであるので、生徒達はランダムに組む相手を決められ、課題に当たらなくてはならない。
 シンの相手は、偶然にも知り合いのであるメイリンだった。
「お姉ちゃん……きれい…………」
 教官と逆隣にいるその彼女は、泣くんじゃないかと思わせるほど感激して、うっとりと呟く。メイリンの視線の向こうには、先程あの教師からあんな言葉を引き出した二人がいる。

 MSパイロットコースのツートップ。コンピュータのランダム選別も引き裂けなかった、正真正銘のカップル――レイとルナマリアが。

 生徒達の誰もが「馬子にも衣装」な正統派タキシードを唯一完璧に着こなしたレイは、同じ男の目から見ても格好良い。
 普段は流している髪を襟足のところで結った姿に、女生徒達が黄色い悲鳴を上げていた。
 レイの方は想像どおりといったところなのだが、予想外だったのはルナマリアだ。
 剥き出しになった肩はあまりに華奢で、きゅっと絞られたドレスのウエストの細さに驚く。
 身を包むドレスの色は、綺麗に纏められた髪より少し赤い紅。上半身は体のラインを露わにするが、腰から下のスカート部分は緩やかに広がって動作に合わせて揺れていた。
 纏う宝石は全ての瞳の色と同じ紫。手袋だけが白く眩しく――諸々のパーツ全部が、ルナマリアの為にあるようだ。
 彼女にどのような感情を持っていようと、あの姿を見れば目を奪われ、沈黙する。
 それだけの美しさがあった。


 ――潜入捜査訓練には課題があり、生徒達はパーティ参加者を装って、定められた人物に発信機をつけなければならない。
 無論、これは周囲にも標的にも不自然に思われてはならない。
目的の達成の為の手段は問われず、何がしかの情報を持ち帰れば評価がプラスされる。
 腕を組んだ二人は、話かけてくる一般パーティ客役の人間と会話しつつ、標的に近づいていく。
 シンが標的を知っているからこそこうやって二人の行動目的が分かるものの、事情を知らなかったら、ただパーティ客が会場を移動しているとしか感じなかっただろう。
 それだけ、レイとルナマリアの動きは優雅だった。
 二人には笑う余裕さえある。
 堂々と標的に接近し、和気藹々と歓談し、そしてあっけなく別れた。
「え……?」
「い、良いの? あれ」
 どうやって発信機をつけるか頭を悩ませているシンとメイリンは、あまりにあっさり標的から離れていく二人を凝視する。
 彼等は難題の最中だというのに、楽しそうに笑っていた。

 シンの隣にいる教官の前に立ったレイ達は、組んでいた腕を解き、礼装のまま敬礼する。
 タキシードもドレスも二人に似合い過ぎるほど似合っていたのに、軍人の所作をし厳しい表情になった彼等の着るべきものはそれではないと感じさせる。
「レイ・ザ・バレル及びルナマリア・ホーク、課題終了致しました」
 パーティでは徹底しているレディーファーストの名残か延長か、ルナマリアが一声を放つ。
 ざわ、と空気が揺れた。
 シンとメイリン同様に皆も、二人がいつアクションを起こしたのか分からなかったのだろう。
「確認した。報告あるか?」
「Yes, sir」
 続いたレイの言葉に、今度こそ大きなざわめきが生じる。
 報告がある、イコール、情報を取ってきた、という事だ。
 通信機を付けるだけでも難しいのに、更に得たものがあるという事がどれだけ大変で、凄い事なのか、生徒達は身を持って思い知っている最中だ。
 自然、畏敬や嫉妬の視線が集まる。
「良し。ヴェルデ教官が聞く。そちらへ」
「「Eye, sir.ありがとうございました!」」
 初めて出た情報獲得者達の唱和。
 どこか誇らしげなそれは、元より負けず嫌いの多いMSパイロットコースの少年達に火をつける。
 チクチクとした目線と空気の中、レイは当たり前のようにルナマリアをエスコートして進んで行った。

 課題に向かって歩く姿と良く似た、彼等の歩く光景。
 麗しい少年と少女が、美しく着飾り、鮮やかに行動する。

 それはまるで、映画のような。


「―――ちっくしょ……」
 小さく舌打ちをしたシンに、どうしたのだろうとメイリンが瞬きしながら覗き込む。
「カッコイイじゃんか、あいつら」
 言って、熱くなる頬を自覚しつつ、少年は唇を尖らせる。
 同い年の男のこの照れ混じりの憧憬に、姉が自分ではない人間と世界を作っていた事が許せない少女は、
「私のお姉ちゃんだもん」
 悔しさと負け惜しみで、それだけ言う。
 順番を待つ彼等の元に、報告を終えて戻ってきた二つの影が接近していた。


 授業終了後の帰り道。

 綺麗な姉の文句なしに優秀なところを見られて大満足のメイリンは、ふと思い出した事を隣で歩く姉に問う。
「ねぇお姉ちゃん、ヒールは苦手だって言ってなかったっけ?」
「今でも苦手よ?」
「えー。だって、授業の時はあんなに……」
「メイリン」
 姉に静かに呼ばれ、見詰められて、なぜかメイリンは胸がドキドキした。
 いまだ化粧を落としていない姉は、凄みを増してなお美しい。
 ―――そんなルナマリアが、艶やかに微笑する。

「女の意地よ」

 赤いドレスのように鮮やかな断言。
 颯爽と進んでいく背中に、ひらりと泳ぐ赤い裾の幻をメイリンは見た気がした。



 結局、課題を達成した上に情報収集までこなせたのは数組。
 その中で最も完璧にクリアしたカップルの片割れに、悔しいがシンは心から尊敬する。
「どこで何をしたか、全然分からなかった。なぁ、いつ発信機付けたんだ?」
 レイは視線だけちらりとよこし、何も言わなかった。
 言葉の少ない友人の回答する気はないという意思表示に少年はこっそり舌を出し、自分で答えを見つけるしかないのだと再認識する。
「ケチ」
「なんとでも言え。俺達だって、簡単にこなしたわけじゃない」
「そうなのか?」
 少なくとも、生徒達の誰一人として、二人がどこでどういった行動を取ったのか分からなかった。
「ならなんで、リスクがあるプラスアルファをやったんだ?」
「ルナマリアが、ただ課題をこなすだけではつまらないと言ったのでな」
「ルナ……」
 やや困り顔になったレイから、そういったときの少女の様子がありありと思い浮かんでシンは頭を抱える。いかにも、あの負けず嫌いな彼女が言いそうな事だ。
「良くやろうと思ったな」
 確実性を好むレイなら、危険を冒す策は取らなさそうである。
 顔にそう疑問符を描いて見てくるシンに、レイは口角を上げた。
「女に乞われて、出来ないなどと誰が言えるか?」
 はっとする。
 無表情ばかりな彼の、驚くほど明確に色づいた笑み。

「男のプライドだ」

 黒いタキシードの如き、かっちりとした宣言。
 緩まぬ速度で進む先にはきっと、彼女がいるだろう。


 ―――ああ、それはまるで。
 映画のような。

 オトコとオンナの たたかいの 話。




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