張り詰めた神経が緩んでいく。
 他人と一緒にいてそういう事があると知っていたはずなのに、まるで初めて理解したような気がした。


回答−選択した者―



 奪取も破壊も出来ずに、敵軍の新造戦艦とMSを地球に下ろしてしまった。
 智将ハルバートン率いる地球連合軍第八艦隊を沈めた事より、"足付き"を逃した事の方が重大である。
 地球側に新たなる兵力を与える事実は、プラントを脅かすのとイコールなのだ。
 最高評議会は"足付き"を追っていたクルーゼ隊の隊長に帰投命令を出し、事の経過報告がされ、査問会が行われた。
 クルーゼは嫌味やら小言やらは言われたものの、とりあえずは始末書提出だけでお咎め無しという事で決着がつき、ヘリオポリス強襲からこの方一度も休みが無いクルーゼ隊には、久々の長期休暇が与えられた。
「クルーゼ隊長」
 評議会がお開きとなり、さっさと部屋に帰って休もうと思っていたクルーゼは、呼び止められて渋々歩みを止める。
 振り返った先にいたのは、声から予想がついてはいたがいささか意外な人物だった。
「少しいいかね?」
「はっ」
 クルーゼは敬礼を以って返礼とする。
 声をかけてきたのは、娘同様、上品さを滲ませるプラントの代表――最高評議会議長シーゲル・クラインその人だった。
「そうかしこまらなくていい。プライベートな用件だ」
「? 何でしょう?」
 クルーゼはシーゲル・クラインが話し掛けてくること自体稀だというのに、その内容がプライベートだとなると更に無い事だ。
 彼等が共有するものなど何一つ無いだから、クルーゼが訝しむのも無理は無い。
「礼が言いたくてな」
「礼……と仰いますと?」
「娘の事だ。
 良く無事に助け出してくれた」
 演説や会議の時とは全く違う、温かみある低い声。そこにいるのは優秀な政治家ではなく、子の無事を喜ぶただの父親だった。
「私は自分の務めを果たしたまでです」
 模範的な回答がすらすらとクルーゼの口から出、クラインは苦笑した。
「君がそれだけの意識でもいい。
 だが事実、娘は君と君の部下によって助かったのだから礼を言わせて欲しい」
 髪の毛と同じ色の双眸が、優しい色を滲ませた。一瞬……ほんの一瞬だけ、彼と件の娘が重なって見える。
 これが親子というものなのだろうか。似ても似つかないのに、どこか似ている。
 クルーゼがそんな事をぼんやりと思っていると、立場やしがらみをひと時だけ横に置いた一人のコーディネイターは続けて語る。
「あれは、地球軍の戦艦であった事もヴェサリウスでの事も私にもあまり語らんが、君やアスランにはとても世話になったと言っていたよ。とても嬉しそうに」
 大きな娘を持つ父親の顔は、娘の生還を心から喜びながら、どこか寂しげだった。
「あまり穏やかな出会いと時間ではなかっただろうが、あの子にとっては良いものだったらしい。感謝している、本当に」
 立場上敵が多い男は、笑うように目を眇める。
そこには、深い疲労の影があった。
「議長、お時間が」
 控えめにクラインを呼ぶ声がして、彼はプラントの代表の顔に戻る。
「娘は君や君の隊に礼がしたいと言っていた。もしかしたら、近い内に何かあるかもしれんな」
「先程も申し上げましたが、私は職務を全うしたまでです。
 そのような気遣いは無用にございます」
「娘に言ってくれたまえ」
 私は知らんよ、と悪戯っぽい微笑でかわされ、クルーゼは内心で憮然とする。穏健派で知られてはいても、さすがにプラントの頂点に立つ政治家である。
 穏やかそうに見えて、隙がない。
「呼び止めてすまん。休暇を有意義に使ってくれたまえ」
「はっ」
 立ち去る議長閣下をとりあえずは敬礼して見送り、その姿が見えなくなると、クルーゼは薄く笑った。


 どこにどうやって手を回したのか。クライン議長と話した二日後には、クライン邸へ訪ねる算段が整っていた。
 誰がやったのかは不明だが、見事な手際である。外堀から埋められてしまえば、たかが一軍人は従うしかない。
 ハンドルを操りながら、クルーゼは複雑な溜息をつく。
 急進派のパトリック・ザラと・・懇意である以上、あまりクラインに近付くのは得策とは言えない。
 まあ、今回は先の経緯があるので納得出来る運びだ。ザラも何か言う事はないだろう。
 そういった周囲の影響や思惑等とは別に、あの娘に会えるのを純粋に喜んでいる自分がいるのを、クルーゼは自覚していた。
 忌々しかったはずの小娘。
 今でも、全く正反対の思想を持ち、出る場所によっては牽制や腹の探り合いをするような間柄だというのに。
 何故、こうも焦がれるのだろう。
 ――視界に大きな門扉が目に入り、クルーゼは思考を中断して徐行する。
 カメラ付きのインターフォンに顔、次いでIDカードをかざし、軍の認識番号と所属部隊と名、訪問理由を述べる。
 しばしのタイム・ラグを置いて身元が確認され、ようやく邸内に入る許可が下りた。
 さすがにプラントの国家元首の屋敷らしく、セキュリティが呆れるほど厳重である。忍び込めば、さぞかし痛い目を見る事だろう。
 正面玄関に停車すると、タイミング良く玄関が開き、中からいかにも執事らしい格好と雰囲気の中年男性が現れる。
「ようこそいらっしゃいました」
 見事な一礼と共に述べられる言葉は慇懃で、彼がその道で一流である事が十分察せられた。この家の主であるクライン議長は確かな人を見る目を持っているらしい。もっとも、そうでなくてはその職務は務まらないであろうが。
 正面玄関に停車し、助手席から手土産を取って車から降りる。何も言われなかったので、車はこの位置でも構わないらしい。
「失礼する」
 執事の手で開かれた玄関から、外観どおりに小奇麗で立派な内装の室内に入る。
「ようこそ、クルーゼ隊長」
 頭上より降ってきた越えに視線を上げると、そこには初めて見る私服姿のアイドルが見る者をとろけさせるような柔らかな笑みを浮かべていた。
 早々と階段を下りてきたラクスは、その場で待っていたクルーゼの前に立つと、またにこりと笑う。
「ようこそおいでくださいました。無理を言って来て頂き、申し訳ありません」
「とんでもない。私如き一介の軍人には、余りある栄誉です」
 二人の顔は笑っているのに、仮面の隠されたクルーゼの瞳も、ラクスの青い瞳も笑ってはいない。
 相変わらずの自分と彼女に、なぜかクルーゼは満足感を覚えた。
「お招き頂きありがとうございます」
 言いながら、手にしていた花束を渡す。
 これぐらいの礼儀は、クルーゼとて弁えていた。
「まあ。ありがとうございます」
 花を受け取り、嬉しげに瞳を細める姿は、もう穏やかな少女のものだった。
「どうぞ、こちらへ」
 先導する彼女のスカートが、ふわりと舞った。

 案内されたのは、外で食事する為に作られたようなオープンテラスだった。
 広い庭園には小さな小屋があったりオブジェがあったり、それらが品良く配置されているのが見える。少し遠くには、海まで眺める事が出来た。
 途中メイドに渡されたティーセットを、ラクスは手馴れた様子でテーブルに配置する。
「無事のご帰還、何よりですわ」
「ありがとうございます」
 少女が去ってからあった戦闘を、彼女がどこまで知っているのかは分からない。
 ただその顔は何もかも全てを知り、受け止めるかのような――そんな印象を受ける。
「プラントの歌姫の加護がありました故、戻って来る事が出来ました」
 わざとそう言えば、彼女は少し顔を赤くする。
「しかし、帰還と言えますかどうか。またすぐに戻りますので」
 一瞬前までの少女の顔を消した歌姫は、悲しげに瞳を揺らした。
 クルーゼはそれを綺麗さっぱり無視して、入れたての紅茶に口をつける。味は濃いのに渋みのない、芳醇なそれに驚いた。
「お気に召しまして?」
 黙り込んだクルーゼが思った事を察したらしいラクスは、悪戯っぽい顔で尋ねる。
「ええ。これなら毎日でも飲みたいぐらいですよ」
「まあ」
 世辞ではなく本心からそう思ったのだが、どうやら冗談にされたらしい。
 この空気の中で寛ぐ自分が、クルーゼには不思議で仕方なかった。
「先日は大変お世話になりました。
 もう一度、改めてお礼が言いたくて、お招きしましたの」
 上流階級の令嬢らしく、上品に謝辞を述べる。
「クルーゼ隊やヴェサリウスの皆さんにも何かしたいのですけれど、どうしたら良いのか分からなくて……」
「本当にそれだけで?」
 意地悪な質問だと思う。
 恐らく彼女は、本当に礼が言いたくてクルーゼを呼んだのだろう。
「私はあなたに会えるのを楽しみにしておりましたよ?
 ようやく"答え"が聞けるとね」
 テーブルに置かれていた小さな手を、クルーゼは逃れる事は許さないと強く握る。少女はびくりと身を震わせ、恐る恐る男を見上げた。
「まだ無理ですか?」
 追い詰め過ぎるのは得策ではない。押すところと退くところは間違えない。
 だから、一歩退いて逃げ道は残しておく。
「――いいえ」
 しかし彼女は、しっかり首を横に振った。
「お答え致しますわ」
 心臓が一つ大きく跳ねたのを、クルーゼは自覚する事も出来ずにいた。

 二人はクライン邸の広大な庭園を、ゆっくりと歩いていた。
 ラクスが歩きながら話すと言い、少し息苦しさを覚えていたクルーゼも了承したのだ。
 庭は美しかった。
 遠くに海が見え、眺めは申し分なく、木々や植物も最低限の手が加えられただけで、自然の美しさを残している。
 存在自体が人工であるプラントで、自然の美しさもないかもしれないが。
 クルーゼはそう皮肉る。
 両者しばらく黙って歩いていたが、先行して歩いていたラクスがようやく口を開いた。
「わたくし、あれから考えました。考えて考えて、知恵熱が出そうなくらい考えました」
 ゆったりとした調子は、まるで詩を吟ずるようだった。
 周囲にこういう話し方をする者はおらず、クルーゼは割と好んでいた。
「まず考えたのは、わたくしの置かれている立場、クライン家の事、お父様の事、ザラ家の皆様の事でした」
 聡明な少女は真っ先に周囲の事を思案したらしい。あまりにも彼女らしくて、クルーゼは少しだけ笑った。
「そうしたら、何も出来なくなってしまいましたわ。
 周りを考えれば、わたくしがあなたの手を取る事など選べるはずがありませんでした」
 これはまだ答えではない。
 その確信がクルーゼを沈黙させ、彼の予想違わずラクスが言葉を続ける。
「五日間ほどそういった事で悩んで、気付きましたの。
 わたくしは肝心な事を考えていないと」
「それは?」
「それは、わたくしの気持ちですわ」
 クルーゼの顔を見上げたラクスは、にっこりと、それは美しく微笑んだ。
「一番大事なものだったというのに、わたくしは見落としておりました。
 やっぱり、少し混乱していたのでしょうか?」
 クルーゼの言葉を期待しているでもなく、彼女は歩みを再開する。
 男と少女の歩幅の差は歴然で、クルーゼがゆっくり一歩のところ、ラクスは普通に二歩歩く。
「わたくしがあなたを好きなのか、考えました。これは一週間もかかりましたわ」
 少女はおかしそうに微笑む。
「一週間考え、答えは出ましたか?」
「それが、出ませんでしたの。
 唸るほど考えましたのに、分かりませんでしたの」
 こちらの言葉にあっさり答え、ラクスはほうと息をついた。
「ですので、年長者の教えに従い、考えるのをやめてみました」
 年長者が誰なのか、教えの内容はなんなのか非常に気にかかったが、クルーゼはやはり黙って続きを待った。
「考えまいとしているのに……浮かんできたのです。
 あなたの顔や、交わした言葉や、出来事が」
 段々と震えていく言葉。白い頬はほんのりと上気している。
「それが三日続いて、ようやく気付きました」
 クルーゼは我知らず身構えていた。
 少女は再びクルーゼと視線を合わせ、まっすぐに見詰める。
「わたくし、あなたが好きですわ」
 白い頬は朱に染まり、身体も小刻みに震えているというのに、どこまでも澄み渡った青い瞳は逸らされる事はない。
 音が耳から入り、脳が言葉として認識し、その意味が理解出来るまで、通常の倍の時間を要した。
 望んだ言葉。欲した気持ち。
 それが今、確かに自分に向けられている。
 クルーゼが口を開こうとした瞬間、見計らったかのようにラクスが言葉を発した。
「わたくしの気持ちを聞いて、あなたは何を思いましたか?」
 意外な問いではなかったが、即答は出来なかった。
 どうもペースを乱されているような気がして、クルーゼは自然な動きで仮面の位置を直した。
「落胆なさいませんでしたか?」
 今まで見た事がないほど寂しそうに、彼女は笑う。
 その顔が、あまりにも切なくて、愛しくて、クルーゼは答えの出ていない問題が解決したのを知った。
 手に入ったと確信した瞬間襲ったのは、例えようの無い喜びだった。戦闘で勝利を収めた時とは違う、嬉しさを伴った喜び。
 気付けば、クルーゼはラクスを抱き締めていた。
「あなたと私の心配は、全くの無用の長物だったようです」
 ぼそりと耳元で呟けば、腕に華奢な身体の震えが伝わる。
「選んでくれて嬉しいですよ」
 珍しく率直な言葉だった。
 腕の中の温もりがもたらすのは、これ以上無いほどの充足感。
 クルーゼが秋桜色の髪に顔を埋め、甘い香りを楽しんでいると、おずおずとためらいがちに、少女の手が彼の背に回された。
 小さく息を呑んだクルーゼの腕に込める力が益々強くなり、ラクスが少しだけ顔を歪ませた。
「……失礼」
 少女の苦しげな顔に気付いた男は彼女を放す。
 仮面の下、クルーゼは複雑な思いで自分の行動を顧みる。
 抱き潰してしまいたいと思った。知らず、力を込めていた自分に驚いた。
 クルーゼはそっとラクスを見、微笑まれて何故か――何にかは分からずも安堵する。彼女を見つめたまま、前の時と同じように手を差し出した。
「苦しい付き合いになるでしょう」
 祝福する者はいない、非難だけがあるであろう恋。
 定められたものに背く道に踏み出す覚悟を、決めなければならない。
「それでも、"あなたは、私の手を取りますか?"」
 二度目のこの言葉。
 重みが全く異なっている事を、分からない彼女ではあるまい。
 この前は、震える手がわずかに触れて……離された。今度は、躊躇しない華奢な手が、しっかりとクルーゼの手に重なった。
「はい」
 迷わない答えは、クルーゼにラクスの手を握らせる。彼女もまた、握り返した。
 互いに手を握り合ったまま、二人はどちらともなく近付く。クルーゼは腰をかがめ、ラクスはわずかに背伸びして、唇が重なった。


 本当の意味で、二人にとって初めてになる口付けは、甘く……痛かった。








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