連絡が入ったのは、コンサート本番30分前。

「それは……確かなのですね……?」
『はい……っ』
 自分も、電話の相手も、声が震えているのをお互いに分からないほど動揺していた。
『コンサート前だから知らせるのはどうかと思ったのだけれど……昨日随分と気にしていたようだから』
「……ありがとう」
 数十時間前のひどい胸騒ぎ。
 あれは、虫の知らせだったのだろうか。
『……ラクス、大丈夫?』
 相手が"母親"として聞いてきたので、ラクスは受話器を強く握り締めた。
「大丈夫です」
『もう切るわね。
 ――お仕事の成功を祈っているわ』
「はい」
 神経を特に使うコンサート直前、あまりの知らせを届けた相手は、そう言って通話を終えた。
 彼女に感謝する。
 どんな時でも知りたいと思っている事を教えてくれたから。

 たとえそれが、どんな内容でも。

 たとえ それが 友の 死の報で あっても。


 彼女は自分の仕事を弁えていた。
 仮に親が死んだ時でも、仕事が入れば笑って歌わねばならない。
 笑顔で歌い、一時の娯楽を提供する、という事を非常に良く知っていた。
「ラクス様、時間です!」
「はい」
 ステージへ赴かんとする少女の顔に、表情は無い。
 泣いた跡も無い。
 人形のような無表情だった。

 ライトの当たるステージ。
 客席は満員。
 期待の視線が一点に集中する。

「皆さん、来てくれてありがとうございます!」

 ラクス・クラインのコンサートは、彼女の満面の笑みと言葉で始まった。


 熱に浮かされた、非日常の時間。
 いまだその名残を感じさせる大舞台に、ラクスは一人座っていた。

 コンサート後の打ち上げも断り、マネージャーに無理を言って一人残った。もっとも、実家以外では随行するボディガードは控え室にいるだろう。
 彼女の膝の上にはロボットが転がっており、普段よりも小さな音量で、どこの言語か不明の珍妙な言葉を色々と喋っている。
『ラクス、ラクス、元気カー?』
 友達と言い切るロボット・ハロの言葉も、今のラクスには届かない。
 たった一つ点いているスポットライトだけが唯一の光源で、光と闇を色濃く隔てていた。

 暗闇を見るラクスの瞳に映るのは、優しい笑みを浮かべた、物腰柔らかな少年。
 草木の薄い緑色の髪は彼に良く似合い、同じ色の瞳は常に穏やかだった。
 婚約者を通して知り合った、年下のザフト兵。
 パーティで顔を見かける程度の顔見知りだったが、きちんとした初対面では少し照れた様子で礼儀正しく挨拶してくれた。
 一緒にいる者を、どこか落ち着かせる雰囲気を持った人物だった。
 そんな彼に好感を抱いていた。

 彼のピアノコンサートにも、お忍びで行った事がある。
 エスコート兼ボディガードにさせられた婚約者は、あろう事かコンサート中に眠るという愚行をしたが、そんな彼も気にならないほど素敵な時間だった。
 少年の奏でるピアノは、彼という人間をよく映し出していた。
 透き通る、柔らかな音色。
 ピアノが……音楽が好きだと、語っていた。
 歌いたい衝動をこらえるのが大変で、でも耳はピアノの音だけを追っていた。

 少し意識を向けるだけで蘇る、その音色。
 透き通る、柔らかな音色。
 彼の……音。

 ラクスはハロをそっと手放し、立ち上がった。
 数時間前と同じようにステージの中央に立ち、ゆっくりと暗闇の客席を見たラクスの薄い瞼が閉じられる。
 先程とは違う化粧っ気のない口許が、誰も聞く事のない歌声をそっと送り出した。

 葬送曲。鎮魂曲。
 こういった曲や歌ばかりレパートリーが増え、歌う機会も多く上手くなっていくこの世が、憎く悲しい。
 嘆く事は無意味だと分かっているのに。
 歌うだけしか出来ない自分が、たまらなく嫌になる。
 承知している事なのに。
 何曲目かの鎮魂曲を歌い終え、次に歌姫は毛色の違う歌を歌い出す。
 思い出深い歌を。
 いつか来て欲しかった日に、絶対に歌ったであろう歌を。

 歌も中盤。
 自分の声だけを捉えていた耳が、絶対に聞こえないはずの音を拾う。

 それは、ピアノの音。
 腕の良い職人の手によって作り出された最高のピアノの、類稀なる演奏者の手によって生まれる音。
 こんな音を出せるピアニストを、彼女は一人しか知らない。
 今まで仮面のように動きのなかったラクスの顔が崩れ、乱れなかった歌声が途切れ途切れになる。
 震える身体と喉を叱咤して、彼女はその歌を歌い上げる。
 有り得ない伴奏はその間中聞こえ続け、歌が終わった途端止んだ。

「……仰ったではありませんか……っ」

 暗闇に浮かび上がるステージの上で、ラクスは誰憚る事無く顔を歪める。
 頬に伝うのは涙。

「いつか……一緒にコンサートを開こうと、仰ったではありませんか……!」
 言っても詮無い事。
 だが理性が理解しても、感情が納得するはずがない。

 血のバレンタインの悲劇を目にして、戦場へと向かった優しい少年。
 はにかんだ笑顔を浮かべて、ピアノへの情熱を語った彼。
 音楽の事になると、常より身を乗り出して話し出した男の子。

 彼はもういない。
 もう―――いない。


「ニコル様…………!!」


『僕は軍人ですから、確かなお約束は出来ません。
 けれど、もしいつか……そんな日が来たら』

 出来ない約束は決してしなかった。
 真っ直ぐな目をして言った。

『一緒にコンサートを開きましょう』




歌姫ラクス・クラインが
最も愛した ピアニスト

クルーゼ隊・ザラ隊所属 ニコル・アマルフィー
地球軍との 戦闘において
戦死 15歳





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