「退屈なんだ」
 その呟きは諦観しきった老人のようでもあり、欲求に素直でわがままな子供のようでもあった。


001:横断歩道



 瞳子が藤真蒼威の本当の性格を知ってからというもの、彼はやたら彼女に対してフレンドリーになってしまった。
 別にわざわざ会う時間を取るという類のものではないが、会えば会ったで挨拶して通り過ぎるのではなく、なんだかんだと話し相手をさせられる。
 その裏表の激しい落差にパニックしている瞳子は、背中に感じる敵意の視線に冷や汗をかきつつ、元々のお人好しさがあいまってついつい話し込んでしまうのだ。
「……で、今日はいったいなんなんですか?」
「ひどいな。用がなくちゃ話し掛けてはいけないのかい?」
 印象的な大きな瞳を半眼にして尋ねる瞳子に、蒼威はさわやかな笑顔を浮かべた。
 瞳子も最初こそ蒼威との会話に困っていたが、それが何度か繰り返されればさすがに慣れるというものだ。

 お昼休みになり、さて今日の昼食はどうしようかと瞳子が考えていたところ、瞳子のクラスの授業を執り行っていた教師に用事があったらしい蒼威が教室にやってきた。
 女子の黄色い歓声が上がる中、さっさと退散しようと一人急いだ瞳子だったのだが、あっという間に用件を終わらせたこの男に有無を言わさず拉致されたのである。
 明日、早ければ今日の放課後には、恵理谷の王子親衛隊によってリンチに遭うかもしれない確立100%の不幸な少女は、恨みがましい瞳で完璧に整った顔の男を見上げた。
「はい、お昼ご飯」
「え? あ、ありがとうございます」
 差し出されたものを反射的に受け取って礼を述べてしまってから、瞳子は我に返った。その反応に気付いた蒼威が、満足げに笑う。
「受け取ったという事は、昼食の時間は付き合ってくれると解釈して良いんだよね?」
「え、えーと……返却は可ですか?」
「不可」
「……有り難く頂戴します」
 それで良い、と恵理谷のプリンスは鷹揚に頷いた。
 彼は一見品行方正な完璧人間のように見えるが、その実究極のマイペースで強引な男なのだ。

 特に大きくも小さくもないベンチに隣り合って座りながら、瞳子は重苦しい胸中を抱えつつ渡された紙袋を開いた。
 入っていたのは購買部で売っているサンドイッチセットと、甘さ控えめのカフェラテ。
 無難なチョイスに、人外魔境な食べ物が出てきたらどうしようかと、かなり失礼な事を考えていた瞳子はホッとした。
 横に目を滑らせると、藤真の方は瞳子の倍ぐらいはありそうなランチセットを手にしている。やっぱりこの人も男の子なんだと、彼女は当たり前の事をようやく実感するのだった。
「なんであたしと先輩がお昼を一緒に取っているんでしょうねぇ」
「俺が誘ったから」
「あれは誘ったっていうんですか」
 拒否権なんぞ与えてくれなかった闘騎手は、強い力を有する瞳子の眼力にも一切答えた様子は無い。
 涼しげな様子で箸を動かし、食べ物を租借する。
「理由ぐらい聞かせてくれませんか?」
「そうだな。今日は天気が良かったから、外で食べるのも良いかと思ったんだ」
 空は青く澄み、時々小さな雲がゆったり流れる。風は肌に心地良く、確かに人の心を外に誘う陽気であった。
 しかし。
「それなら、一人でも良いと思うんですけど……」
 一人の食事は味気がない事も事実だが、自分を巻き込むなら一人で食事をしてくれと切実に願う今の瞳子は、むっつりと遠回しに当てこする。
 購買部自慢の生ハムサンドの味が、やけに複雑怪奇なハーモニーを奏でるぐらいに現在状況はおかしいものなのだ。
 瞳子の嫌味を解しているのかいないのか不明な王子は、物憂げに溜息をつくとこうのたまった。
「一人で食べていると、周りがうるさいんだ。せっかくの食事もろくに取れない」
 彼の周りといえば、良く付きまとっている女子の姿が目に浮かぶ。恐らくはそれの事なのだろう。
 それが鬱陶しいと、彼は言う。
 モテない男子が聞いたら、恨みの余り暗殺計画が発動しそうな発言だ。だがなぜか、言うのが彼ならば許される内容でもある。
「……つまりあたしは防波堤ですか」
 溜息をついて、瞳子は諦めきった顔で蒼威の顔を見、彼はにこりと肯定の笑みを浮かべる。
「それに、自分の元から逃げられないのに、無意味に抵抗して毛を逆立てる子猫をいじめるのは楽しいだろう」
 瞳子が息を呑んで胸中で「サド!!」と叫びつつ、彼女の評価を知りもしない蒼威は食事を続ける。
 彼はこういう人間であった。

 ぽつぽつと話しながら全然違う量のランチを同じ頃に食べ終わった二人は、各々のゴミをまとめて一息つく。
「ああ、志村さん」
「は……」
 い、と言葉を言い終わる前に、いかにこの場より抜け出そうかと思案していた瞳子の膝に、蒼威の頭がかぶさってきた。
「○×△□〜〜!!??!?」
 声にならない瞳子の悲鳴。
 ファンの女性によれば黄金と称される金色の髪が、自分の膝の上に乗っている。久々の大パニックに、瞳子の身体が硬直した。
「良い反応だな」
 いわゆる膝枕体勢の状態を作り出した蒼威は、少女の激しい反応に気を良くしたのか初めて胡散臭くない微笑を顔に剥き、身体の位置を調整し、腕や足を組んでお休み体勢へと入っていく。
「せ、せ、先輩っ。からかうにも程があります!」
「からかってないさ。食事をしたら眠くなってきて、ちょうど隣に枕があったから横になっただけだよ」
「とーうーまーせーんーぱーいー!!」
「膝貸してくれるよね?」
「何でですか!? 嫌です!」
 とうとう拒絶の意を示した瞳子に、男は益々嬉しそうな表情をする。
「じゃあ尚更だ。貸してもらおう」
「人の話聞いてます!? いえ、分かってるのに通じないフリはやめてくださいっ」
 嫌がっていても、無理矢理蒼威の頭を落とさないのは瞳子の美点で欠点だった。
 それほど気が長くない瞳子は、瞬く間に怒りゲージのメーターが頂点まで上がるのに気付き、恵理谷のプリンスに向かって爆発させようと腹を括ったところで、まるでそのタイミングを知っていたかのような蒼威の言葉に遮られる。

「退屈なんだ」
 その言の葉は、麗らかな昼下がりの空気を瞬く間にどこかへ追いやった。


 怒りを発露させようとした瞳子も、短い言葉に込められた重さに気付いて唖然と蒼威を見下ろす。
 恵理谷最強の闘騎手は、恐ろしく空っぽな表情で見返してきていた。
 その硝子のような、しかし奥の奥に燻る火種を隠す双眸を覗いてしまった瞳子は、理解する。
 あまりにたくさんの力を与えられたこの男の、苦悩の欠片を。

 持って生まれた能力、容姿。それを生かす本人自身の努力も加わり、彼は王者として恵理谷に君臨している。
 しかし王者は、その席で挑戦者を待つ事に飽きていた。
 彼を楽しませるような力を有した者がいなかったが故に。
 恵理谷の王子ならぬ王が望むのは、長きその栄光の座ではなく、全身全霊を懸けた命のやり取り。
「退屈なんだよ」
 そんな男にとって、敵う者がいないこの学校は苦痛になっているのだろう。
 だから彼は去ってゆく。
 求める戦場へと羽ばたく為に。
 ―――真実を知る為に。


「意外と……馬鹿なんですね、藤真蒼威」
 気付けば瞳子はそんな事を言い、先程までは腹立たしくて仕方がなかった蒼威の頭にそっと触れていた。
 この少女の行動に驚いたのは蒼威の方で、珍しく目をぱちくりと瞬いて瞳子を見詰める。
「それに、分かってましたけど、わがままです」
 手に触れる金の髪は柔らかく、猫の毛を触っているようだった。
「子供、でもあるかな」
 あたしもそうだけど、と付け足した瞳子の顔は優しい。まるでRFを見詰めるように。
 蒼威は眩しいものを見るように目を眇め、誰にも許さないような行為をする少女を容認する。
「きっとその言葉は、藤真先輩のたくさんのものが詰まった重要なものなんだろうけど」
 全てを受け入れて諦めた老人のような風情。
 けれどその中に、確かにあった。
「なんだか、ないものねだりをする子供みたい」

 月が欲しい、と泣く子供。

 しかし彼は月を手にする為にステップアップする事の出来る人間で、その階段を上がっていく。


「―――寝るよ。俺が起きるまで、撫でていてくれ」
「は!?」
 自分の見解と行動は彼の機嫌を損ねただろうかと心配になった瞳子だったが、蒼威はそれらについては何も言わず、無茶苦茶な要求をして目を瞑ってしまった。
 どんな事を言っても知らん振りをされてしまった少女は、途方にくれて深い溜息をつく。
 蒼威の方は早々と夢の世界に旅立ってしまったらしい。
「……なんか、やめたら後で大変な目に遭いそう」
 何で私が、と泣きたくなりながら瞳子は片手で鞄から資料を取り出し、それを読みながら蒼威の髪を撫で続けた。

 この時間はもうすぐ終わるのだと2人は知っていた。
 例えるならば横断歩道のようなものなのだと。
 全く違う場所へ通じる道と道を繋ぐ、頼りない白い線のような時間だと。


 数時間後、律儀に蒼威の言う事を守っていた瞳子は、ようやく眼の覚ました彼にやや呆れた、しかしそれ以上の慈愛溢れる視線を向けられて困惑する。
 長い時間膝枕を強いられて足が痺れてしまった少女が、恵理谷の王子に抱えられてD班の実習室に運ばれて騒動になるのはまた別の話である。
 この日を境に、藤真蒼威が志村瞳子の周囲に頻繁に出没するようになったという。



inserted by FC2 system