歌姫の瞳は遠くを見ていた。
 果てしなく、遠くを。


002:エレベーター



 いつ敵に襲われるか分からない緊張状態の中でブリッジを空けるのは気が引けたが、どうしようもない必要性から、アークエンジェル艦長マリュー・ラミアスは戦艦エターナルに訪れていた。
 同志の艦とはいえ、単身でエターナルに赴くと決まった際にはクルー達に渋い顔をされたが、今の状態では護衛に割く人員の余裕などない。それに、移動の一時でも一人になれる開放感をマリューは欲していた。
 ブリッジに向かう為エレベーターに乗り込み、マリューは壁に背をついて息をつく。
 途切れる事のない緊張。
 平和の国から託されたものは、マリューに希望と重責をもたらしていた。
 だが、地球軍に属していた時よりも心が軽いという自覚がある。
 彼女がようやく姿勢を正した時、エレベーターは指定した階数よりも随分下で止まり、扉を開いた。
「まぁ、マリューさん」
 そこには、この艦の艦長であり、この集まりの指導者と言っても過言ではない少女、ラクス・クラインが浮いていた。

 金属性の箱の中は今、ハロという名のロボットで彩られていた。
 最初は非常にうるさかったのだが、ラクスが一声かけて今は合成音声は飛び出してこない。ほんの少ししか重力制御のない無重力空間を、ふわふわと色とりどりのそれが漂う光景はマリューの心をほぐしてくれる。
 隣でにこにことロボット達を見守っていた少女は、そんなマリューの心情を察したかのように笑いかけてきた。
 その笑顔は"肩の力は抜けまして?"と言っているように見えて、内心でマリューは肩を竦める。
 まったく恐れ入る。とても十六の少女とは思えない観察眼と老成ぶりだ。
「ええ。ありがとうございます」
 年長者として少し情けない気持ちになりつつも、見抜かれているのだから、とマリューは素直に頷いた。
「あなたとは、色々な事をお話したいですね」
 同じ女性指揮官という事もあって、マリューはかねてからラクスと話してみたかったのだ。それ以外にも、きっと様々な興味深い話が出来ると思う。
 マリューが微笑と共にそう話し掛ければ、ラクスは心底嬉しそうに笑う。
「わたくしもそう思いますわ」
 しかし、それが存分に出来るのはまだ遠い先の話になるだろう。
 この戦いは、とても長いものとなるであろうから。
「そういえば、先程そちらのフラガさんともお会いしましたわ」
「ムウに、ですか?」
「ええ。バルトフェルド隊長にお話があったようで」
 フラガとバルトフェルドは、かつて敵同士だったというのに随分と仲が良い。年長の、歴戦の兵士という部分が多大にあるだろう。彼等は様々な話をしているようだった。
「そうしましたらね、惚気られてしまいましたの」
「…………え!?」
 マリューとフラガが恋人であるのは公然の事実であったし、二人も隠していない。しかし、年下の同性から、悪戯っぽい笑みと共に言われるとひどく恥ずかしいものがあった。
「マリューさんの可愛いところをたくさんお喋りになっていましたわ」
 クスクスとどこなく苦笑交じりの微笑に、マリューは自分の顔から火が出るかと思った。
 次に彼に会ったらきつく言い含めておくよう決意しながら、マリューは赤みの消えない顔でラクスを見る。少女にからかっているつもりはないのだろう。あくまで事実を告げているだけという表情の彼女に、そういった事をするような人物ではない事がよく分かる。
 ふと思いついたような表情で、ぽつりと呟く。
「フラガさんは、わたくしの恋人とどことなく似ています」
「え……?」
 まず驚いたのは、この少女に恋人がいたという事。
 そして、当然ながら自分の恋人が彼女の恋人に似ているという事。
「内緒ですけれど、わたくしプラントに恋人がおりますの」
「まぁ……」
 その恋人が、キラがラクスの婚約者と言っていたイージスのパイロットではない事は明白だった。
 ラクスは無邪気に笑っていたが、その表情はどことなく翳がある。
 プラントにいる、という事は離れ離れという事だ。しかも、この少女は反逆者として追われている身。連絡を取る事も出来ないだろう。
 エレベーターが目的の階数で止まり、二人共壁を蹴って外に出る。
「……どのような、お人ですか?」
 周りに人がいない事を確認して、恐る恐るマリューは口を開いた。
 遠く離れた者達の恋の辛さは多少分かるものがある。
 だからこそ、彼女はそう言った。
 問い掛けられた少女はきょとんと目を丸くすると、視線をふっと横に流した。
「世界を、人間を、呪っている人です」
 その呟きは、あまりにも静かだった。静か過ぎて、言葉の禍々しさに気付くのがワンテンポ遅れるほどに。
 ぎょっとしたマリューがラクスを見る。
 愛嬌のあるロボット達に周りを固められる、少女のその瞳。
 うっとりと、これ以上ない幸福な夢を見るようで。
 同時に、酷く乾いていて、何の感情も浮かべていないようで。
 愛しげに、切なげに、憎らしげに、餓えて……遥か遠くを見据える。

「何もかも、全てを呪う男です」

 プラント最高の歌姫の、妙なる美声が紡ぎだす恋人の話は、マリュー・ラミアスの背筋を震わせるには充分過ぎるものだった。

 この子は恋をしている、と彼女は思った。
 年齢に似合わない、穏やかならざる恋を。


 それ以上は聞く事が出来なかったマリューは、多くの人に慕われる彼女と恋愛をする、自分の恋人に似ているという破滅的な男に会ってみたいと思うのだった。




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