003:踏切


 ここの踏切は長くて有名。
 考慮してか歩道橋はついているので、いつもはそちらを使っている。
 しかし、今日はそれが出来ない。
 両手が痺れるくらいの大荷物を抱えているので、階段を上り下りするのは遠慮したい。
 そうして、エステル・ブランシェは魔の踏切を待っている。

 か弱い少女が、明らかに重量オーバーな荷物を持っていても、都会の人間は気にせず歩道橋へ向かっていく。
 恐ろしく長い待ち時間を律儀に待つのは、お年寄りか子供連れのみ。

 やはり誰か一緒に来てもらえばよかったと、今更ながらエステルは後悔する。
 こういう時に限って、あののっぽの神父は姿が見えない。
 こんな時ぐらいしか役に立たないというのに!

 重たくなる腕は苛立ちを招き、少女は内心で同僚をひどく言い、この用事を言いつけた上司に恨み言を連ね、花の(かんばせ)はどんどん険しくなっていく。
 カンカンという甲高い警笛も耳障り。
 消えては点く、通過電車を知らせるランプ。

「そろそろかねぇ」
「そうだなぁ」
 この踏み切りに詳しいのか、老夫婦がのんびりと言い合う。

 どうやら最後の一本らしい電車が、エステルの右手からやってくる。
 これでようやく渡れる、とエステルが進行方向に顔を向けたその瞬間、彼女は目を見開いた。

 遮断機の向こう側。
 周囲の注目を集めながら、悠然と立つ美青年。

 彼はエステルと目が合うと、心底嬉しそうに微笑む。

「……ディート……リッヒ……」
 唇から漏れる声は、知らず掠れていた。

 天使の微笑は、悪魔の笑顔。
 涼やかな声で、楽しげに絶望を告げる、あの男。

 つい口を押さえたのは、飛んで出そうだった言葉を押さえる為か。
 それは悲鳴か怒声か。

 けたたましい音を立てて地面に落ちる荷物も、エステルの気を引く役目は果たさない。
 周りの人間が、何事かと目をやっても、当の少女は電車が通過する様を見続けるだけ。

 電車がすぐ側の駅ホームへ停車して、踏切が開いて、人が流れる。

 エステルは、自分を抱くように腕を抱く。
 確かにいたはずの人影は、幻のように消えていた。

 恐らく、誰も、彼の存在を覚えてはいないだろう。

 冷や汗で濡れ、わずかに震える身体を叱咤し、散らばった荷物を拾う。

 幻視ではない。
 あの存在を絶対に間違えはしない。

 だからこそ、恐ろしい。

 ようやく荷物を拾い終え、踏切を渡ろうと歩き出す。
 と。

『愛してるよ、エステル。今度はゆっくり、ね……』

 吐息がかかりそうなほど近くから、その声はエステルの耳に届いた。

「………悪魔……っ」

 笑い声が聞こえる気がする。
 憎んでいる男の。
 今まさに、自分をからかって遊んだ男の。


 ふらついたエステルの前で、踏切だけが変わらず閉まろうとしていた。




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