それは優しく、しかし抗う事を許さない妖しさを併せ持って降ってきた。 021:逃げろ! 上官に拝み倒されて、勤務後の疲れた足を軍病院へと向けた。 無駄なまでの美貌をもつ上官は、カーマイン基地で恐れられている麗しのサイコ・ドクターズと親しく、今日は外科医のマッド・サイエンティストに届け物があったらしい。 本日は二人揃って同じく夕方で勤務終了だったのだが、不運な事にルシファードは急の星間通信が入ってしまい、ライラに手を合わせて頭を下げてサラディンへの届け物を託し、泣く泣く通信施設へと去っていった。 自由時間の予定は特になく、ドクター・サイコをそれほど恐れていないライラは、上官にきっちりと貸し一つを申し渡すも、彼が思っているほど重くは無い足取りで軍病院に訪れていた。 運良くサラディンは休憩時間中だったのですぐに届け物を渡す事が出来、彼からのお茶の誘いを快諾して他愛無い話(主にルシファードのお茶目な話)を楽しんだ。 上官を抜きにした珍しい組み合わせのお茶会は思いのほか面白く、時間は瞬く間に過ぎ去った。 サラディン特製のハーブティーが入ったカップが空になる頃にはちょうど良い時間で、ごく自然にライラは辞去を申し出、そろそろ休憩の終わる医者は名残惜しそうにそれに同意し自分を見送るように立ち上がって、ライラも部屋のドアへと向かったのだ。 ロックされていたドアが開き、最後の挨拶をしようと振り向いたライラが見たものは、近付いてくる蓬莱人の美貌。 ゆっくりとした速度は十分に避けられたはずなのに、ライラは動けなかった。 そっと触れ、さらりと女の唇を舐めて離れていったサラディンの口唇。 ライラは信じられない事態の進展に、すうかり硬直してしまった。 「……ドクター?」 「はい?」 「今何かしました?」 「ええ。私があなたにキスをしましたね」 にこりと笑って答えるサラディンに、ライラは自身の混乱が益々ひどくなっていくのを感じる。 この大佐殿は、確か自分の上官に酷く興味を抱き、その上官と常に一緒の自分にも少し目をかけてくれているようだった。少し前に彼に向かってセクハラな言葉を投げかけたが、それはいたく感動されて場は収まったはずである。 では何故だろう? 常日頃の優秀さは、こんな場面では発揮されないらしい。 加害者サラディンの目の前で、被害者ライラは百面相をしている。 そんなところがおかしいと同時に可愛らしく、サラディンはうっすらと笑った。 彼女の上官ルシファードにもいたく興味があるが、彼をやりこむ事の出来る彼女にも同じぐらい好奇心をそそられている齢227歳の蓬莱人なのである。 今までのような関係でも十分楽しいのだが、今日の弾んだ会話に一歩前進してみようかと考えた彼は、帰り際あんな行動に出てみたのだった。 「ドクターが私にキスなさる理由が分かりませんわ」 しばらく考えていたライラは、それでも答えが出なくて本人に聞いてみる事に下らしい。やけにあどけない顔でサラディンを見上げた。 「そう難しい事では無いですよ。あなたと親しくしたい男の、突発的な行動です」 「あの、それをドクター以外の人間がするなら、その場で括り殺すところなのですが」 「おや。では私は殺されないのですか?」 「なんだか毒気が抜かれてしまいました」 やれやれと肩を落とした彼女の姿からは、ルシファードをヘコませる豪気ぶりは窺えない。 中々顔を上げないライラに、さすがに突然過ぎただろうかとサラディンが爪の先ぐらい思った時、ネクタイが勢い良く引かれた。彼が加えられた力に逆らう事無く顔を前に突き出す形になったところ、猫科の肉食獣を思わせるチャーミングな顔が眼前にあった。 ぶつかったのは唇。 噛まれたのも唇。 驚いたサラディンは、挑発的に笑むライラの、女の顔を見た。 ――――面白い! 笑い出したいぐらいの愉快さ。 この女性は、魅力的過ぎる英雄と同じぐらい自分を刺激してやまない。 すかさず身を引こうとしたライラの身体に腕をまわし、強引に拘束する。良く鍛えてあるといっても、女性で 片腕で腕を絡めとり、片腕で腰を抱いたサラディンは、官能の限りを尽くしてライラに口付けを施す。 「……んっ…………」 抵抗が徒労に終わり、わずかな動きも取れなくなってしまった女性軍人は、あまりにも甘美で技巧のあるキスに強引に応えさせられる。 まるで、自分から求めているかのように。 琥珀色のサラディンの瞳が妖しく輝き、更にライラを攻め込まんとしたその時。 「な、ラ、ライ、ラララララっっっ」 類稀なる美声の、涙を誘うような、どもって意味のない言葉の羅列。 サラディンは胸中で舌打ちしてライラから唇を離し、彼女を支えた。すっかり身体に力が入らなくされてしまった彼女は、息を乱しながら彼の胸にもたれかかる。 「無粋ですね、大尉。こういう時は見てみぬ振りをして引き返すのが大人というものでしょう」 「自分の副官が襲われているのを見過ごせってか? 冗談じゃねぇぜっ。」 「襲われている? 合意の上だとしたらどうするのですか」 「え? そうなのか、ライラ?」 「そ、そうじゃないような……そうのような……と、とにかく助けてルシファ!」 副官で親友のSOSを受け、ルシファードは素早い動きでサラディンから彼女を奪還。今まで蓬莱人がしていたように、しっかりと腕に抱きこむ。 「助けてくれとは悲しいですね、ライラ。まるで私が変質者のようではないですか」 「も、申し訳ございません、サー。でもですねっ」 サラディンに威嚇するルシファードの腕にしっかり覆われ、ライラは先程の行為で潤んでしまった瞳で外科医を見る。 「謝る事はないぞ、ライラ。サラディン。俺の副官に下手なちょっかいは出さないでくれ」 「下手なちょっかいとは心外な。 おや、でも、本気であれば良いというのですか?」 「本気でライラを? …………だ、駄目だ! 何でか分からないけど、駄目っ」 子供のように抗議するスクリーングラスの男に、サラディンが瞳を眇める。それだけでライラは、この場の気温が五度ほど下がったような気がした。 「その理由を聞かせてくれませんか、ルシファード」 「えーとえーと……そうっ、ライラがあんたに食われそうな気がする。だから駄目。以上」 これ以上の問答は無用、とルシファードは副官を肩に担いで走り去る。 身長の高いルシファードがそこそこに体格の良いライラを担いでいるので、見た目も非常に大重量に見える。 「ルシファ! いくらなんでも失礼でしょうっ。ドクター・アラムート! 後日お詫びに伺わせて――むぐっ」 「待っていますよ、ライラ」 どうやら上官に口を塞がれたらしいライラに、とびきり極上の声で答えを返す。 真面目な彼女の事だから、必ずまた来訪してくれるだろう。 しかし困りものなのは、彼女の上官で自分の友人でもあるルシファード・オスカーシュタインである。 非常に有能でもある彼は、果たして「食べられるのが目に見えている羊」であるライラをおいそれと「狩場」たる病院へよこしてくれるだろうか。 普段は鈍感極まりない男だというのに、どうしてこういうところでは鋭いのだろう。副官とは全く逆のようだ。 あのままルシファードが一般病棟へ行ってしまったら、ミーハーなナース達や入院患者達に良い噂の種を与えてしまうだろう。 ルシファードは自業自得だとしても、かわいそうなのはやはりライラであろうか。 益々病院に来辛くなる彼女を思って、非常にエゴイストな彼は自分の行った事を棚に上げて溜息をついた。 「また会うのを、心の底から楽しみにしていますよ、お二人共」 そうして、宇宙一美しい外科医は足取り軽く職場へと戻っていく。 この上なく美しく危険な男に魅入られた二人の明日はいかに? ちょうだいすきなシリーズのひとたち。 BLの香りがいっぱいのところ、あえてライラさん総受けを希望です。 |