見えない鎖が、枷が、この足には嵌められていて。 023:革靴 戦時とはいえ、上流階級のパーティというものは開かれる。 新興勢力と小さく見られてきたのはもうとうの昔、現在では安定してきている上、圧政を敷いていない同盟軍領では尚更の事だ。 それら全てに同盟軍の軍主であるリオウが出席する事は勿論ないが、それでも軍へ多額の寄付をしている者が開くような宴にはさすがに顔を出さないと色々と問題がある。 が、リオウのスケジュールはただでさえ忙しい。 いくら必要だと言っても、パーティなんて時間を浪費するものに出ては(出しては)いられないと軍師殿は判断した。 そこで、白羽の矢はナナミに立つ。 軍主の これに反対したのは当然のようにリオウだったが、彼自身倒れる寸前まで疲労を感じていたし、彼の事を心配するナナミもそれを良く知っていた。 その為彼女は自らリオウをなだめ、名代として出席する事を弟に告げたのである。 かくして、ナナミはパーティに出る事となった。 楽人達による生演奏は上品で場の空気を壊さず、あまり気にも留められないような滑らかさで流れていた。 主催者の使用人達がプロらしい身の運びで酒を進め、料理を運ぶ。 婦人達は扇子を片手に笑いさざめき、紳士達は涼しい顔で難しい議題を話し合う。 「…………ヤだヤだ」 庶民が一回で良いから出てみたいと夢見る光景の中、ナナミは自らの気持ちを正直に口にした。 軍の女性陣によって選びに選ばれたドレスも、丹念かつナチュラルに成された化粧もどこ吹く風――彼女の機嫌が最悪の時に反応である無表情が、逆に少女に人形めいた美しさをもたらしている事など気付きはしない。 そんな気分と機嫌の悪いナナミでも、こんな言葉がパーティ出席者の耳に入ったら外交問題になってしまうと考える事は出来るので、小声にするぐらいの配慮はある。 が、すぐ側に立つルックの耳にはばっちり届いていた。 「こんなところに連れてこられた、僕の方が言いたいね」 ナナミが盛装させられているように、ルックもまた法衣を品良く豪華にしたような衣装を身につけていた。 彼は軍主名代の護衛役を命じられてパーティに出席しているのだが、その中性的で端正な美貌に男女問わず熱い視線を向けられていて、それがますます苛立ちに拍車をかける。 「気持ち悪いよ、ルック君」 美しく笑いながら、口で誉めそやしながら、その腹の中では何を考えているのか分からない――そんな世界を、ナナミはリオウの名代に立ってから初めて知った。 「ジョウイも、こんなところにいるのかな」 顔を青白くしたナナミが、訝しげな顔にわずかな心配の色を載せるルックに寄りかかりながらぼそりと呟く。 正直、真っ直ぐ立っているのも苦痛だった。 それなのにナナミの思考は、心優しかった幼なじみへと飛んでいく。 彼女の物思いはルックの手が細腰に添えられるまで続き、上等な絹越しに感じる少年の力によって現実に引き戻された。 「おや、名代様はどうかなされましたかな?」 「慣れない席で少し気分が良くないようです。よろしければ静かな部屋などで休ませて頂ければと……」 護衛役のルックとは別に交渉専門の人材として同伴していたジェスが、滑らかに嘘八百を並べていく。 その殊勝でいて堂々とした語りは実に見事で、5分もしないうちにナナミは別室のソファの上にいた。 「ごめんなさい、ジェスさん」 「全くだな。名代として来ている以上、役目をしっかり果たせ」 射殺さんばかりに冷たい視線を向けたジェスは、それでも本当に顔色の悪いナナミを見て少しばかり面白くなさそうにし、早々と部屋を出て行こうとする。 「先程の主催者以外には、化粧直しという事にしてある。15分やるから、それで治せ。まだ挨拶回りが終わっていない」 「必ず」 いくら幼く、自ら望んだものではないといえど、彼女も同盟軍の幹部だ。 己を役割は弁えている。 ナナミはしっかりと頷き、フォローの為に一足先に会場に戻っていくジェスの背中を見送る。 扉が閉まり、次いで部屋にルックの結界が張られた事を感じ取ると、ナナミはようやく肩の力を抜いた。 「……ごめんね、ルック君」 「僕は ただ守れば良いのだと言うルックに、やっぱり彼は優しいのだとナナミは思う。ぱっと聞けばなんでもないようなのだが、彼の言葉はこちらに負担を与えない。 それが嬉しくて、少女は淡く微笑み、ドレスの裾を捲る。 「踵の高い靴なんて嫌いだわ」 肌にぴったりくっつく感触がどうしても嫌で、ドレスの下の足は素足だったが、そのせいか履き慣れない靴はナナミの足を痛めていて。 「似合わないし」 ふざけたように足をあげ、踵の部分だけ宙にぶらぶらさせる彼女の顔は、どう見ても濃い疲労が滲み出ていた。 本当ならば、こんな場所に来る事はなかっただろう少女。 ルックの嫌う、しかし存在するとしか思えない運命とやらは、彼女をどこまで追い詰めれば気が住むのだろう。 理不尽に故郷を追われ、大切な者達は大きな戦に巻き込まれ、やがて自主的に戦争の中心になっていって、大事なものを諦めないナナミが一番傷つけられていく。 鍛えられて引き締まったナナミの足。 手や腕や背中と同じく傷だらけで、今は似合うけれど似合わないドレスに包まれているそれ。 この時ルックが取った行動は、衝動的なものだが必然のものであった。 彼は彼女の前に跪き、ナナミの気のまま動いている足をまとめて腕の中に閉じ込める。 気分の悪さと驚きで動かない彼女を良い事に、少年は片方の足に唇を落とした。 「る、ルック君!?」 両膝の裏に片手を入れ、もう片方の手は左足の甲に触れるルックは、ナナミの足に触れたままの唇を動かして慣れた呪文を唱えた。 光を帯びた風がナナミを包む。 発動された魔法は「癒しの風」。怪我などを治す、風魔法の癒しの術。 「―――別に、見られないほどひどくないんじゃない?」 今にも足から飛んでいきそうな靴を、ルックはきちんとナナミの足に嵌める。 先が細く、踵の高い、貴婦人達の靴。 そんなものを必要としない少女の足には、ささやかな拷問具に等しい。 「痛みは?」 「え?」 言われて、ナナミは気付いたようだ。 先程までは座っていても履いている事が窮屈だった靴が、今はもうなんともない事に。 「痛くない……気持ち悪くない」 吐きそうなほどの気分の悪さまでもが消えていて、少女は呆然といまだ自分の足を抱えているルックを見下ろす。 「ありがとう。これで、また行ける」 心の底から安堵したとばかりに微笑むナナミの顔には、やはり疲労の影が濃いというのに。 治した足も気分の悪さも、遠からずまたぶり返すのは必至だというのに。 それでもナナミは立ち上がり、気分を悪くするほど苦手なあの場所へ戻っていく。 ―――大切な弟の為に。 「うちの軍貧乏だから、頑張ってお金出してもらわないとね」 ナナミは珍しく人が悪そうな笑みを浮かべた。 こう見えて金銭感覚をきちんと持ち、それどころか生きていく為に稼げる時は稼げ(食べられる時は食べろ)というサバイバル精神逞しい彼女は、融資を搾り取る名人でもあった。 ちなみにこの特技は、当然ながらリオウも取得している。その為、姉弟揃って金に厳しい正軍師から重宝がられていた。 「どうせあくどい事して稼いだ金なんだ。全額ぶん取っても良いんじゃないの?」 「駄目駄目。 そこそこ残しておいてあげて、また稼いでもらった時にこっちに融資させるんだから」 生かさず殺さず。 そんな言葉がルックの頭をよぎる。 「さぁて、そろそろ行きますか。 ジェスさんに怒られちゃう」 戦闘モードになったナナミは、ルックに足を離してくれるよう目で頼み、彼はそれに素直に従う―――わけがなかった。 先程口付けた足ではない方に、ナナミに見せ付けるようにルックはまた唇で触れた。 「ルック君!!」 元気になった少女はさすがに今度は元気良く抗議してくる。 それに満足したルックは胸中で笑い、ようやく彼女の足を開放した。 「もうっ、何するのよ」 「護衛役らしく治してあげただろ」 「それはありがたいけど……なんで……その、キスする必要があるのよぅ」 最後の方は声が小さくなっていて、ナナミは指と指ともじもじ合わせて恥ずかしさを訴える。 「治療代。文句あるわけ?」 「う〜〜〜」 視線はルックが立ち上がった事で逆転し、ソファに座るナナミから上目遣いで睨まれても迫力は無い。 「行かないの?」 「行くわよ!」 自分のしでかした行為に当然ながら恥ずかしさを覚えているルックは、それを悟られないようにいつも以上にそっけない顔をして、ナナミに手を差し出す。 「特別にエスコートしてあげるよ。あんたは一応軍主名代様だからね」 「それはどうも」 「転ぶかもしれないし」 「余計なお世話っ」 自分の手を借りて軽やかに立ち上がったナナミの足に、ルックはあるはずのないものを見た。 しなやかな足を縛る鎖と枷がある。 この娘は自由に駆けているようで、本当は一歩も動けない。 見えないそれらは、しかし確実に存在するのだろう。 彼と彼が戦い続けて、それでも彼女を望む限り。 ナナミ自身が、彼等を大切にする限り。 「いつか絶対、ルックの目が落ちるぐらいびっくりさせてやるんだから」 「へぇ、それは楽しみだね。期待して待ってるよ」 少年が少女をエスコートして、彼等は小さな守られた場所を後にする。 二人がじゃれるようなやり取りをしている遠くからは、華美で醜悪なざわめきが聞こえていた。 盛装したルックがドレスアップしたナナミの足にキス、という脳内イラストが書かせたSS。 私ではとても形にならないのが悔しいところ。 でも脳内では、とっても綺麗な二人がいるのです! もったいないぃぃぃ。 |