夜も更けた真夜中、悲鳴をあげて、時には声も無く飛び起きる。


 028:穴


 暗い部屋の中、細い肩が激しく上下する。
 自分を必死に落ち着かせようとする姿が逆に痛々しかった。
「……ラクス?」
 少女の隣から、やや寝惚けた低い声が発せられる。
「ああ、起こしてしまいましたか、アンドリュー」
 その声の調子に、バルトフェルドは何かを察したらしい。眠たげな瞳にさっと心配そうな色を乗せた。
 ラクスは悩ましげに顔を手で覆い隠し、大きく溜息をついた。
「ごめんなさい……。休んでくださいな」
「馬鹿な事を」
 完全に目を覚ましたバルトフェルドは、少し怒ったように眉を寄せる。
「こういう時の為に一緒になったのだろう」
 かつて共に戦った二人は、今では姓を同じくする夫婦だった。
 年が離れている以上に、バルトフェルドが死んだ恋人を想っているのは周知の事実であったから、周りはとても驚いたものである。
 騒ぐ周囲とは逆に、当人達は沈黙を守り続けている。
「そう……でしたわね」
 疲れた様子で、ラクスはまた大きく息を吐く。
 がっくりと落とされた肩と疲労の影の濃い顔は、明らかに年不相応のものだ。
「またあの夢か?」
 片腕の夫に導かれるまま、ラクスはゆっくりと身を横たえる。体温の残るシーツが、少し気持ち悪かった。
「ええ……」
 戦時、人々を鼓舞した歌姫の声は、今はこれ以上ないぐらいか細い。

 ――瞼に焼き付いて消えない光景がある。
 暗い宇宙に輝いた閃光。人――あの人の命が散った瞬間。
 身体に走った衝撃に、愛した人間が逝った事を悟った。
 癒される事のない痛み。忘れられない彼の人。

「一生、忘れませんわ」

 悲痛さと憎しみの響きがあるそれを、バルトフェルドは黙って聞くだけだ。
 彼にもまた、忘れられぬ光景と愛する人がいた。
 舌たらずの口調。涼やかな瞳。死を前にしても笑っていた、極上の女。
 共に死ぬと覚悟したのに、自分だけが生き残った。
 彼女を、バルトフェルドは忘れない。

「あの人も、あの光景も……!」

 それは、二人の心の底からの叫び。
 心の中に棲み着いた存在がある。
 恐らく、一生そこにい続けるだろう、亡き人。
 それでも、生きている人間は生きなければならない。生き続けなければならない。

 だから、二人は手を取り合った。
 人生を全うする、その為に。
 死んでしまった人を想い続ける事を、理解してくれる人間と。
「ああ。僕も忘れない」
 バルトフェルドは、幼な妻の背中を優しくさすりながら痛みを持つ言葉を吐く。

 彼等の愛しい人間を殺したのは、とても良く知る少年で。
 一緒に戦った同志でもあって。

 彼を全く恨んでいないというのなら、嘘になるだろう。
 しかし二人は、心優しい少年を責められるほど愚かではなく。
 行き場の無い怒りと悲しみは―――――…………。


「さぁ、もう寝よう。僕の記憶じゃ、明日は早かったはずだね、奥さん?」
 小さな身体の震えが止まるのを待って、バルトフェルドは努めて穏やかな声で語りかける。この年の離れた奥方は、年齢に似合わない強靭さを誇るから、いつまでも混乱状態のままではいないのだ。
「ええ。あなたもでしょう?」
 すっかり平静に戻ったラクスは、妻の顔で答える。
 愛する人を別に持つ二人は、互いに恋愛とは別の穏やかな感情を持って夫婦という契約関係をしていた。
「ああ、そうなんだ。僕も飛び起きなきゃいいんだが」
 悪夢にうなされるのはバルトフェルドも同じ。
 そういう時支えてくれる相手を、彼等は選んでいた。
「大丈夫ですわ。今夜はわたくしがもう起きましたから」
「そうだと良いな」
 互いの身体をしっかり抱き締め合い、二人はゆっくりと瞼を閉じる。
 痛みと共に蘇る、愛する者の面影を見ながら。



 心にぽっかり空いた穴。
 埋まる日は、来るのだろうか―――――――――……?




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