「泣かないのですか?」

「泣いていいんです」

「……泣いて、下さい」



030:泣いても良いよ



 シーゲル・クライン死去。
 追っ手に襲撃され、護衛もろとも殺されたという。
 その情報を知らされたマーチン・ダコスタは、恐る恐る"彼女"を振り返った。
 ふと漏らした言葉を、この至近距離で彼女は聞き逃してはいないだろうし、短い単語から事態を正確に予想しているだろう。
 そういう事が出来る、上に立つべき人だから。
「……父が死にましたか?」
「………………はい」
 問うてきた彼女の言葉は、わずかな震えもなかった。
「では、早いところ移動してしまいましょう。
 全てはそれからです」
「はっ!」
 いささかの動揺も見せずに言い放つラクス・クラインに、ダコスタは安堵と納得と……言葉に出来ない思いを感じていた。

 移動した(のち)、歌姫は速やかに諸々の指示を出した。
 冷静かつ的確なそれらに、クライン派の者達は改めて感心すると同時に、安堵した。
 ようやく動き出した自分達の、かけがえのない指導者は完全に失われたわけではない、と。
 元より、降りかかるかもしれない死は反逆行為を行おうと決意した時点で覚悟している。 残された指導者のもたらす安堵感は人々をそれほど混乱させず、集団はわずかな悲しみを抱きながらも変わりなく動いた。
 ――――ようやく一息つけるような状況に落ち着いて、ダコスタは大きく深呼吸した。
 軍で鍛えられていた自分でも、ここ一日の出来事やそれに伴う行動にはかなり疲労しており、出来ればこのまま眠りたいぐらいであった。
 が、自分でもそうなのだから、父親を亡くした華奢な少女はもっと疲れているに違いないと思い至って、頭を巡らす。
 彼女はさほど離れていない椅子に座って、深く俯いて微動だにせず、沈黙していた。
 人の出払った部屋に音源はなく、普段はやかましいロボットも今は動かず、部屋はひどく静かでダコスタは固唾を飲む。
 静謐。
『ハロハロ〜?』
 停止していたように思われたロボットの、常と変わらぬ合成音声は、空気と馴染まず消えていく。
「ラクス様……」
「何か?」
 泣いているように見えた彼女はすぐに返事をした。その顔に涙はなく、先程の指揮官振りとなんら変わりがない。
「新しいお話でも?」
「い、いえ、そうではないのですが……」
 泣いているのかと思ってつい声をかけてしまいました、とは言えず、ダコスタは言葉を濁す。そんな彼にラクスは小首を傾げ、その様がダコスタに先程の感情を蘇らせた。
 形容できない感情。
 同情か、憐れみか、そんなものとは違うようでいて混じり合っているような、不可解な気持ち。
 ラクスを見ると、どうしようもなく溢れるものがある。止めようのない気持ちの奔流に、気付けばダコスタは口を開いていた。
「泣かないのですか?」
 偽りの穏やかな空気が、音を立てて崩れていくのを感じた。
 しかし、少女の表情は一瞬たりとも揺らがない。
 それがダコスタの胸をちりちりと焦がす。
 たまらなくてラクスを見れば、彼女は困ったように微笑した。
「あなたの方が泣きそうですわ」
 よほど自分の顔は歪んでいたのだろう。だが、そんな事はどうでも良い。
「誤魔化さないで下さいっ」
 言いながら、分かっていた。
 この人は、自分の前では絶対泣かないだろう。
 彼女は指揮する者。人の上に立つ者。
 下の者に弱味を見せる事は出来ない。
「泣いていいんです」
 まるで駄々をこねる子供のようだ、とダコスタは頭の冷静な部分で思う。
 無理だと分かっているのに、無理を言う子供。
 けれど、みっともなくても言わずにはいられなかった。
 ――親を失って悲しまない子がいなようか。
 ダコスタは床に膝をつき、足の上で固く組まれた少女の手に触れ、握り締めた。
「……泣いて、下さい」
 何故、こんなにも胸が痛いのか。
 何故、こんなにも泣く事に固執するのか。
「ありがとう……」
 小さな呟きに顔を上げると、彼女は切なげに笑っていた。
 泣く代わりに笑えるのだろうかと、目頭が熱くなっていくのを感じながらぼんやりと考える。
 それは、辛い事だ。
 それは、哀しい事だ。

「……覚えていて下さいね」
 一滴の雫がスカートに染み込んだ次の瞬間、少女は囁くような小さな声で言った。
「戦争のない世界を目指し足掻き、その実現の過程で死した、シーゲル・クラインという人間を」
 己の親の死すら、冷静に客観的に述べる少女が悲しくて、ダコスタは握ったままの彼女の手を額に当てる。
 そのたおやかな繊手は震えてなどいなかったが、ひんやりと冷たかった。
「ほんの少しで良いから…………覚えていて下さい」
 先程は安堵をもたらした、常と変わらない調子の声が、今はただ切ない。
 忘れまい、とダコスタは思った。
 同時に、彼女の涙を見たい、とも思った。


 それは。
 戦争のない平和な世界という、馬鹿馬鹿しいまでの奇麗事を現実にする為に奔走した、偉大なるプラント議長であった男が死んだ日の出来事。




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