気が付いたら、抱き締められていた。
 頭脳労働者だと思っていた男の、意外な体格の良さに驚いた。



 031:抱擁



「浄眼機……?」
 戦闘においては、どんな事態・状況でも臨機応変に対応する少女は、男の行動に呆然と呟くだけだった。
 そのギャップがおかしいのか、浄眼機は喉の奥で笑う。
 ようやく事態を理解して、火乃香は途端にじたばた暴れ出した。
「何すんだよ。放せ」
 砂漠に生活している割に白い頬が、朱に染まっている。
 どうにか男の腕から逃れようと試みているが、そこは男と女。そう簡単にはいかない。
 火乃香が本気で抵抗すればどうにかなるであろうが、そこまでする相手でも状況でもなく、こういう事に慣れない彼女は困りきっていた。
「浄……っ!」
「火乃香」
 耳元で落とされた囁きに、火乃香はびくりと身を震わせる。
「火乃香」
 聞いた事のない声。
 低くて、熱っぽくて、背筋をぞくりとさせる何かがある。
「火乃香」
 己の名前なのに、全く違うもののように聞こえた。
 自分を抱き締める腕に力がこもる。
 それは息苦しくなるほど強くて、火乃香は顔を顰めた。
「火乃香……ッ……」
 囁きは苦しげで、腕の力はまるで縋るようで。
 無意識に、火乃香は男の背に腕を回していた。
「ここにいるよ」
 口を出た言葉も、考えて出たものではない。
 火乃香があやすように浄眼機の背を叩けば、一瞬緩んだ誡めが益々強くなる。
「大丈夫だよ」
 何があったのかは、知らない。
 聞いても、彼は答えないかもしれない。答えられない事かもしれない。
 だが、強靭な精神力を持つこの男が、こんな行動に出るのだから、何かがあったのだろうと火乃香は察する。
「あたしは、ここにいるから……」

 砂漠の夕暮れ。
 世界で一人しかいない少女の名前が幾度も呼ばれて、空に散った。












 気が付いたら、抱き締めていた。
 剣の達人である少女が、思いのほか華奢で小さな事に驚いた。



031:抱擁



「浄眼機……?」
 戦闘においては、どんな事態・状況でも臨機応変に対応する少女は、男の行動に呆然と呟くだけだった。
 そのギャップがおかしくて、浄眼機は喉の奥で笑う。
 ようやく事態を理解したのらしい火乃香は、途端にじたばた暴れ出した。
「何すんだよ。放せ」
 砂漠に生活している割に白い頬が、朱に染まっている。
 どうにか男の腕から逃れようと試みているが、そこは男と女。そう簡単にはいかない。
 火乃香が本気で抵抗すればどうにかなるであろうが、そこまでする相手でも状況でもなく、こういう事に慣れない彼女は困りきっていた。
「浄……っ!」
「火乃香」
 耳元で囁けば、火乃香はびくりと身を震わせる。
「火乃香」
 それが自分の声だと、信じられなかった。
 常より低く掠れて、まるで熱に浮かされたような。
「火乃香」
 世界で最も美しいと思っている言葉を繰り返す。
 彼女を抱き締める腕に力がこもる。
 力が強すぎるか、火乃香は顔を顰めるのが見えたのに、自分が制御出来ない。
「火乃香……ッ……」
 情けない。
 この小さな少女に縋るというのか。何を求めるというのか。
 己を自嘲した浄眼機の意識を引き戻したのは、そっと背中に回された腕の温もりだった。
「ここにいるよ」
 聞き逃しそうに小さなそれは、けれど確かに耳に届いた。
 火乃香があやすように浄眼機の背を叩けば、一瞬緩んだ誡めが益々強くなる。
「大丈夫だよ」
 何があったのか、彼女は無論知らないだろう。
 浄眼機は言っていないし、言うつもりもないし、言えるものではない。
 だが、火乃香は浄眼機が求めていた言葉をくれる。
「あたしは、ここにいるから……」

 砂漠の夕暮れ。
 世界で一人しかいない少女の名前が幾度も呼ばれて、空に散った。






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