彼は、世界を終わらせんとする男だった。



033:不眠症


 戦争を終わらせる鍵を持っていると叫んだ少女。その少女を返還すると言った男。
 どちらの声も聞き覚えがある。
 前者は随分前の事で、それでも鮮明に記憶に残る。後者はそれほど前の事ではなく、どの声よりも馴染みのあるもの。

 フレイ・アルスターとかいう少女の言っていた"鍵"の中には、Nジャマーキャンセラーのデータがあったと見て間違いないだろう。彼女を回収した地球軍の、使えないはずの核攻撃はそれを裏付ける。
 そして、それを渡したのはラウ・ル・クルーゼに間違いないだろう。
 捕虜返還を述べた時の声。あれは獲物を前にした狩人のもの。ラクスだからこそ分かる常との微かな違い。意味ありげだったそれ。
 あの男が、少女を使って地球軍に核攻撃を行うよう働きかけたのだ。

 核が封じられていたからこその今の戦況。
 賽は投げられた。
 投げられて、しまった。

 艦長席でほんの少し自分の思考に没頭していたラクスは、うっすらと瞼を開いた。
 露わになる青い宝石に、偶然彼女の方を見ていたクルーがはっと息を呑む。
 その瞳は、それだけ美しかった。

 彼が世界を呪っている事を、自分はどこかで知っていたのではないかとラクスは思う。

 ベッドを共にした夜に目の当たりにした、彼の心の傷。
 夢を見て安らぐ事さえ許されず、苦しそうに呻いていた男。
 憎悪にぎらついた双眸。
 怨嗟の言葉は身体中から発せられていた。
 凄まじいほどの怒気と、そして絶望。
 あまりに大きなものに向けられたそれに、気付かないラクスではなかったが、どうにも出来なかった。
 彼は触れられる事を拒み、触れようと努力する時間をラクスは持てなかった。

 事態は最悪の方向に向かっている。
 間に合わなければ、あるのは同胞達の死であろう。

 地球軍に牙を持たせたのは彼。
 腹立たしいどころではない気持ちがあるのは事実。
 しかし、彼を憎みきれないのもまた事実。

 ラクスの心から、クルーゼは消えていない。
 むしろ、前よりも心を占めて存在する。

「―――厄介な」

 歌姫の呟きは誰にも聞き咎められなかった。

 今でも彼を愛している自分は、どこかおかしいのだろうか。
 ラクスは内心で自嘲的に笑む。


 平和の道標たる歌姫は、人類を――この世界を、破滅に導く死神と恋をした。
 互いに想い合うのは紛れも無い事実。
 けれど二人は相容れず、手を取り合いはしない。

 それでも。

(――――愛しています)

 溢れる想いを、彼女は否定しないのだ。


 休む事を許さぬ、眠れぬ夜は続き。
 わずかな休息時間は、彼の事を想ってやはり眠れないのだった。






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