目に染みるほど、胸が痛くなるほどうつくしい青空だったあの日。
 僕達は彼女を好きだと思った。


036:逆立ち


 同盟軍の城では、「○○月間」「○○期間」というものがあった。
 これの対象は、生活に関する事(城内美化月間・大物洗濯期間)だったり、建物に関する事(外壁補修強化期間・増設奨励月間)だったりと実に様々で、軍の幹部たる108星も当然それらに借り出され、その月日は城の住民達に良い刺激を齎していたように思う。
 その時は、「戦力向上推進月間」だった。
 我等が軍主リオウ殿はこれ幸いと、108星の中でもレベルが低い者達を連れて遠征に出かけたのである。
 メンバーは、リオウとナナミの最精鋭二人に、ムクムク、サスケ、チャコ、そしてフッチの要レベル強化年少組。
 皆幼い為、大人達はあまり良い顔をしなかったが、それでもどうにか逃げるようにパーティはモンスター達の住処へと繰り出した。

 軍主姉弟は強い。
 職業軍人や名のある傭兵がたくさんいる同盟軍の中で、常に戦の最前線に立てる強さを有していた。
 正直フッチは、ナナミはそれほど強くないと考えていたのだ。
 いつも自分は姉だから一緒だと無理矢理ついていく光景を見ていて、勝手にそう思っていた自分を、フッチは心底恥じる。
 彼女は―――強かった。
 英雄ゲンカクに教えられたという武術の腕は芸術の域まで高められ、少年達を圧倒させて魅了し、苦手だと聞いていた紋章術を軽やかに発動させる。
 強敵にも一歩も引かない強さ。迷いのない横顔。
 彼女は強く、美しかった。

「危ないっ」
 一瞬の出来事だった。
 要レベルアップの少年達+αが相手をするには、やや厳しいイモンスター達との戦闘で。
 隙をつかれたチャコをナナミが突き飛ばして、身代わりになって攻撃を受けた。
「ナナミっ!」
 その叫びが軍主のものかチャコのものかは分からなかった。
「平っ気っ」
 背に傷を負いながらも彼女は鋭い一撃を放ち、自らに傷を負わせた敵を見事打ち倒した。
「チャコ、サスケ、ムクムク、周囲の警戒を。
 フッチ、特効薬持ってたよね」
「は、はい!」
 倒れる寸前のナナミを抱いて助けるリオウに命じられ、少年二人とムササビが姿を消し、フッチが慌てて駆け出す。
 背中に傷を負った彼女を胸に抱きとめるようにその場に座り込んだリオウは、無表情ながら血の気の引いた顔をして義姉(あね)に囁きかけた。
「ナナミ……大丈夫?」
「ん。見た目ほど深くはないよ」
 出血のせいで義弟(おとうと)よりも青くなっていく顔は、それでも微笑んでいて、フッチが薬を使い始めると少しばかりほっとした色を乗せた。
「リオウ、この辺りにはもう敵はいない」
「ムーム」
 サスケが忍らしく冷静に報告し、ムクムクもその言葉の裏づけるように頷く。
「ご苦労様。
 ちょうど良かった、少し休憩しよう。ずっと戦ってばっかりだったから」
 特効薬の使用と併行して発動させていた水の紋章を光らせたまま、彼は指揮する者の顔で決定した。


 パーティが思い思いに座っている一帯には結界が張られ、モンスターは近づけない。
 森の中という事で、葉が揺れる音や鳥の鳴き声が耳をくすぐる静かな時間を、翼を持つ種族の少年が打ち破った。
「…………どうして庇ったんだよ」
 黒い双眸と翼は頼りなげに震えて、それでも彼はしっかりと自分を助けた少女を見詰める。
 怪我が癒え、破れた衣服を補強した後はじっと黙って体力回復に努めていたナナミは、驚いたようにゆっくりとまばたきすると身を起こした。
「仲間を助けるのに、理由がいるの?」
「あれぐらい助けられなくてもどうにか出来たっ。怪我はしたかもしれないけど、あんたが怪我をする事はなかったんだ!」
 その叫びは不甲斐ない自分への怒りと悔しさ、そして純粋な心配が混じっていて、誰も何も言う事が出来なかった。
「俺はあんたより弱いけど、庇ってもらうほど弱くない」
 戦士としての矜持が、チャコの幼い身体から溢れる。
 譲れない一線を掲げて、彼は強く真っ直ぐにナナミを見据えた。
「…………あなたが弱かったから、庇ったんじゃないわ」
 フッチやサスケが無意識に後退りしたチャコの気迫に、ナナミは飲み込まれる事なく静かに答えを返す。
 予備に持ってきたマントを肩にかけ、戦う者へ真正面から言葉をかける彼女に、普段のお転婆な少女の姿などなかった。

「養父が、小さかった私を背に庇い、言った。
 "私がお前を守るから、お前は更に小さな者を守りなさい"と。
 私の後ろには、リオウと……もっと幼い子供がいた」
 彼女の背後にいたという少年は、恥じるように誇るように唇を噛む。
「大きな手が、小さな子を守り、小さな手が、もっとちいちゃな手を守る。
 世界はそうして守られてきたのだと、守られなくてはいけないのだと、じいちゃんは教えてくれた」
 とうとうと語った彼女は、何か言いたいけれど言葉が見つからないといった風情のチャコに向かって微笑する。
「私は、私より小さい子を、守るの。
 それは、私が、私より大きな人に守ってもらったから。私が守った子は、またより小さな子を守るのよ」
 養父の教えと、連綿と続く守りの形。
 恐らく誰も気付かないで行ってきたそれを、ナナミもまた理由もなく行って。
 彼女よりも小さな手は、守られた。

「あなたも戦う人だから、それを良しとはしないと思う。
 私ももう、大きな人に守ってもらおうとは思わない」
「なら……するなよ」
 泣きそうに掠れた声で、チャコは哀願するように言った。
 常はぴんと張った自慢の翼がうなだれ、先程まで放たれていた気迫はとうに散っている。
「うん、でも、身体が動いちゃったから」
 だからごめんなさい、とナナミは頭を下げる。

 フッチは漠然と理解した。
 ナナミの、その細くて小さな背後にチャコがいた。その隣には、恐らくサスケや自分がいる。
 そして自分達の背後にも、また誰かがいるのだろう。
 背後に隠された自分達よりも、もっとちいさな誰かが。


 ちっと、サスケが舌打ちするのが聞こえた。
 こんな話を聞かされては、今度庇われても怒り狂って邪険に扱う事が出来ない。
 リオウが、薄く微笑みながら強い光を瞳に灯している。
 こんな話を聞いたら、庇われないぐらい強くならなくてはいけない。


 フッチは空を見上げた。
 どこまでもどこまでも高い青空を。

 ただこうして淡々と、城の子供達は彼女に守られ――愛されてきたのだろう。
 彼女だけではない、数多の大人達に。



 サスケと、チャコと――そしてリオウと目が合った。
 口にしないそれぞれの想いは自分と同じものであるのが分かったので、フッチは軽く唇を弧に描いて瞳を閉じる。


 逆立ちしても敵わないその人を。
 僕達は、好きだと思った。




 むささびのどこか優しい泣き声が、青い空に響いていた。





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