黒、茶、青、赤、緑、黄、桃、赤、橙、白。
 ありとあらゆる色をした布を扱うのが、私めの商売でございます。


037:着物




 各地の布の産地から安く購入し、各地で売る事を生業として早20年。
 商売はそこそこ順調で、田舎には妻も子もおり、そろそろ一箇所に定住しようかと考えてはいましたが、巡回商人の危険と隣り合わせでも魅力的な部分が捨てきれずに旅をしていた頃、そのお城はお得意先のひとつでありました。

 緑が多く、赤茶の煉瓦で作られているそのお城は、新生デュナン都市同盟軍の本拠地で、ノースウィンド城という名でした。
 しばらく前までは廃墟であったそうです。
 戦の傷を乗り越えつつある美しいトランの人間である私からからすれば失礼ながら北方の小国と言えるハイランドに攻められた、不和らしかったと聞き及ぶ都市同盟の残存兵力が集まって形になった拠点だとか。
 私がお邪魔した時分には、既にたくさんの人がいる立派なお城でございましたよ。
 籍がトランにある私には、商売が出来るのならばどのような事情どういう国であろうと組織であろうと関係ありませんでした。

 多くのひとがいました。
 ばらばらな種族、人間もいればエルフもコボルトいて、果てはユニコーンやグリフォンなんかもいたらしいです。
 人間だけでも様々な出身の者達が集まり、中にはトランで英雄になっているようなお方もいらっしゃいました。
 異国で同郷の人々と会するのは嬉しいものです。
 私は、そのノースウィンド城に定期的に寄る事を決めました。


 何度目かの商売で、その城を訪れた時の事でございます。
 驚いた事に、同盟軍の主力を担っているという年若い少女達が連なってお買い物にいらっしゃいました。
 少女達からは戦う者特有の空気を感じる事が出来ず、本当に彼女達が軍の幹部なのかと訝りましたが、商売は商売。
 私はいつものようにお相手を致します。
 華やかなご一向に、遅れて合流なさったお嬢様がいらっしゃいました。

 桃色と深緑で服の色をまとめている、幼げな顔立ちのお嬢様です。
 整ってはいますが派手では無い顔立ちに、可愛らしいような野暮ったいような紙一重の道着を着ていらっしゃるお嬢様は、先にいらっしゃっていたご友人と思われる少女達とにこやかに話しながら、宅の商売品を品定めなさいます。
 私は彼女に説明しようと口を開きかけ、そして硬直しました。

 何故でしょう。
 個性的なお嬢様方の中では最も平凡な、どこの街や村にも一人ぐらいはいそうなその少女は、ご一行の中で誰よりも戦士の匂いを放っていらっしゃいました。

 私はただの行商人で、扱うものは布です。
 剣は護身用に少し使えるぐらい、紋章の適正は皆無に等しく、幸い戦争に出た経験もございません。
 ですが、乱世の中を生き抜き、荒んだ世の中で商売をしてきて、時には死にかけたり殺されそうになったりという事があったせいでありましょうか。
 弱者故の、危険や、戦いを生業にする方を察知する事に長けたのです。

 そのお嬢様からは、血の匂いはしませんでした。
 どれほど優雅に振舞っても、騎士や武官、兵士が持ってしまう猛々しい空気を、やはり持ちえません。
 これは少女達にも共通した事なので、もしかしたら女性特有のものなのかもしれません。
 しかし少女は、戦士の匂いを纏うてたのです。
 一緒にいられるご友人方より、遥かに濃密なそれを。

 兵士ではないけれど、戦士である。
 年若いというよりも幼いお嬢様は……そんな空気をしていました。


 あまり着る物にお金をかけられなかった観のあるそのお嬢様に奨めたのは、薄く水色がかった白い布。同じような色で、すらりとした金魚が泳ぐ布地もお勧めしました。
 ですがお嬢様は、そのどちらもお断りになられました。
 やや地味な顔立ちであるが故にどんな布でも映えるだろう少女。彼女は言います。
 そんな綺麗な布では、大人しくない自分が着たらすぐに汚れてしまうだろうから、と。

 遠回しのその言い方で、逆に気付かされました。
 白いワンピースがさぞかし似合うだろう少女は、戦場に出られる身。
 その方も、やはり確かに軍の担い手であったのです。

 結局お嬢様は、黒と茶、そして小さな女の子に作ってあげるのだと薄い黄色の生地を購入されました。
 満足そうで、けれどどこか寂しげだったお嬢様はお顔がとても印象的だったので、私はその少女の事をしばし忘れませんでしたね。

 私がそれより5年も経った今、そのお嬢様の事を覚えているのは、別の事がきっかけです。
 その時も、商売をさせて頂こうとお城に向かっておりました。
 新生同盟軍が居を構えてからというもの、お城の周囲のモンスターじゃ一掃されており、周辺は穏やかな道のりが続くのが当たり前となっておりました。
 その認識が、多くの商人達や私の油断を呼んだのです。

 考えられないぐらいに強力なモンスターの出現です。
 一緒に城を目指していた芸人一座はあっという間に殺され、同道する商人達が蜘蛛の子を散らすように逃げます。
 人間、そういう場面に陥った際、冷静に行動出来る者はいないでしょう。
 どうにかお城に向かった者はまだ良い方で、明らかに何もない方向へ走った者もおりました。
 私は今生きている通り、どうにかお城へ走った方でございます。
 無我夢中で走りました。あの時だけは、商品を捨てて走ろうかとも思いましたね。結局しませんでしたが。

 多くの兵士が城壁に立ち、門もまた兵士で固められたお城は、既にモンスターの出現を知っているようでした。
 命からがら城内に逃げ込んだ私は、兵士達が慌しく動き回るのを見たのです。
 ああこれで助かったのだと、肩を叩かれ詳しい話を求められて理解しました。私を覗き込んできた兵士の表情を、私は思い出す事が出来ません。
 酸素を求めて喘ぐ私共の傍らを、がちゃがちゃとうるさい音が駆け抜けていきました。
 すぐ隣であったはずの音でしたが、私の耳には随分遠くのものに聞こえましたよ。命からがら助かったという実感は私を軽いパニックに突き落としていました。

 ああでも、ひとつだけはっきりと覚えている事があります。

「続けッ!!」

 それは、声。
 細くて高い、少女のものであろうそれは。
 力強く空気を伝わってゆき、私の鼓膜を震わせます。
 先日の、あどけない顔に大人びた笑顔を浮かべたお嬢様のお声でした。

 声の主に思い当たった私は、慌てて頭を巡らして城門周辺を見遣りました。

 ―――大きな門の下にて、私はお嬢様を見つけました。
 彼女が乗る茶の一頭を先頭に、騎士や兵士が乗る馬が続いてモンスターのいる付近へと駆けて行きます。
 見えたのは後姿――小さな背。
 くすんだ桃色の道着に包まれた少女の背に、先日嗅ぎ取った戦士の匂いを感じました。


 やがて遠くより戦いの音が聞こえ、お城からも討伐隊が出て、モンスターは呆気なく打ち倒されたようです。
 さすがは同盟軍といったところでしょうか。
 ようやく落ち着き取り戻した私は、兵士達の事情聴取もあった為にずっと城門前付近におりました。
 ですので、討伐対の帰還をこの目にする事が出来たのです。

 まず帰ってきたのは、後から城を出て行った討伐隊でした。
 恐らくは軍の幹部や手練の方達でしょう。大した怪我もなく、ふてぶてしさすら漂わせてご帰還なさいました。
 その後に、私共の駆け込みと入れ替わるように飛び出していった先発の方達が戻ってまいりました。
 誰一人欠けてはおりませんが、後続部隊に比べれば傷が多いようにお見受けしましたね。激しい戦闘であったのでしょう。
 その中に、お嬢様の姿もありました。
 多少返り血を服につけ、やや顔に疲労を落としてのお帰りです。
 鮮やかな手綱捌きが、私はとても不似合いに思ったものです。

「怪我はなかったですか?」

 お嬢様は馬より降りられると、私を認めてそうお言葉をかけてくださいました。
 その笑顔が少しだけ親密だったのは、恐らく先日お会いした事を覚えていらっしゃるのだと自惚れたいものです。
 私は大丈夫ですと言い、それから頭を下げて礼を述べました。
 ――お嬢様は、良かった、と囁くようにおっしゃってくださり、そこで兵士に呼ばれていずこかへと行ってしまったのです。
 それがお嬢様とお会いした最後です。


 印象的な少女ではありましたが、時が経てば忘れるだろうと思っていた記憶の中の子供です。
 ですが、あの鋭い号令はいまだに耳に残り。
 不似合いな微笑は、輪郭をぼんやりとさせつつも思い出に刻まれています。

 まさかまたお会いするとは、夢にも思いませんでした。
 それも、我がトランの英雄の奥方様として。
 え? ああ、はい。そうでしたね。
 まだ、奥方様ではありませんでした。失礼を。
 ご成婚おめでとうございます、陛下。
 ――この国の玉座にあるはずのあなた様を、こう呼ぶのは決して変ではありますまい。レパント大統領を敬わぬわけではありませんが、民草とてその程度は承知しております。
 無論、このご結婚が内密である事も重々承知の上。


 あのお嬢様がご結婚なさるとは、月日が流れたものです。
 胸に何かを抱いて戦場に出ていた、宅の自慢の美しい布を買わなかったお嬢様が、ようやく純白の布地を買い求められる……感慨深いですねぇ。
 おやおや、申し訳ありません。すっかり長話になってしまいまして。

 この度は感謝したい偶然の賜物ですが、どうぞ今後も宅の布をご贔屓にしてくださいませ。

 おやお嬢様、お帰りなさいませ。
 随分と長居をしてしまい申し訳ありません。楽しい時間でございました。

 どうぞお幸せに。


 お買い上げ、ありがとうございました。
 またお願い致します。
 それでは失礼を。






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