俺は彼女が嫌いだった。

しのぶもの
039:ムッとした



 忍、という文字は、刃に心と書く。
 これは忍者のあるべき姿だ。

 忍びの仕事は決して綺麗なものだけではなく、むしろ人に明かせぬような闇の仕事が多々ある。その仕事の中には、人として請負を問われるようなものだって多い。
 しかし、それを遂行するのが忍者だ。また、それこそ忍びに求められているものとも言えるだろう。
 俺はそう教わったし、実際そういうものだし、そういうものだと思ってもいる。

 忍者は闇の者。
 でも、やっぱり人間だ。

 何の罪もない赤子を、殺せと言われてはいすぐにと躊躇いも無く殺せるか。  保護者がいなければ死に絶える非力な子供達の母親を、攫えと言われてはい分かりましたと実行出来るか。
 人間としては否。忍としては是。
 忍の里の者は、頷くだろう。

 忍の字の意。
 刃で心を殺せ。忍者に心は不要。
 ―――そういう事だ。


「あ……」


 目が合ってしまった。
 出来れば近付きたくない人物と。

「サスケ君、ちょうど良かった」
 彼女は城の人間を和ませる笑顔を浮かべて、俺の方に近付いてくる。
「はい、忍の人達の洗濯物」
「……ども」
 一応の礼儀で謝辞を述べ、彼女が手にしていたたくさんの洗濯物を持つ。
 見慣れた装束の山から、洗いたての洗濯物は陽と石鹸の匂いがした。
「それから、シュウさんが忍の人達に来てくれるよう言ってたよ。
 部隊の編成について話があるんだって」
「分かった。伝えておく」
「よろしくね」
 彼女も洗濯をしていたのだろう。
 清々しい石鹸の香りを纏い、踵を返して跳ねるような足取りでどこかへ行った。

 俺が彼女を嫌いなのを、あの人はきっと分かってるんだろう。
 いつも必要最低限の会話しかしないで、早々と別れる。

 会う度に増す不快感。
 彼女へのものなのか良く分からない、けれど日増しに強くなるそれは、俺の顔を険しくさせる。
 一体なんなのだろう。

 それが一番強くなったのは、確かリオウが遠征で留守をした時、偶然にも彼女の裏の仕事を知ってしまった時だったはずだ。
 あの時は、酷い吐き気に眩暈がした。
 戦争を忌んでいたはずの彼女が、眉一つ動かさず部隊の指揮をして勝利を収めたのを見てしまって。
 何の表情もない横顔が、気持ち悪くて……。

 感情と表情のない顔。
 そんな顔をする人を、俺はたくさん知っている。
 俺は、そんな人達に育てられた。
 いずれはそうなるべく。

 ――――心を殺すべし。


 あの人は、忍ではないのに、同じ事をしている。
 忍ならば当然の事。当然だとされる忍でも、難しい事。
 大人ならそんな事は結構当たり前だけれど、普通の人はあまりやってはいけない事だと、厳しくも優しい先人達は教えてくれた。

 ああ、だから俺は彼女が嫌いなのだ。

 やらなくて良い事を、自らやっている彼女。
 自分が出来ない事を、完璧にやってのける彼女。
 だから、嫌いなのだ。


 理解は納得しかもたらさなかった。
 俺と彼女の関係は別段変わりもせずに時は進んだ。


 寒い日だった。
 今年初めての雪が降るのではないかと思われる、厳しい冷え込みに襲われたロックアックスの地。
 俺はやはり降ってきた初雪を見、燃やされるハイランド王国旗を見―――別人のようになった彼女を見た。


 雪に包まれた城は、静まり返っていた。
 勝利の後だというのに死んだような城は初めてで、けれど理由を知っている俺は、息苦しさよりも心地良さを感じる。

 昨日とは打って変わって晴れた空。
 雲ひとつ無い、この空のように笑う人。
 この空の太陽のような笑顔を浮かべる人は、もういないのだ。

 もういないのだと、あの人が還った空が押し付けがましく理解を求めてきていた。



 俺は、彼女が嫌いだった。
 忍では無いのに、必要以上に心を殺す彼女が嫌いだった。


 だから、今俺の頬を濡らす液体は汗なのだ。
 今が真冬だとしても、やたらと熱く、とめどなく流れても、汗なのだ。




 俺は彼女が………………。






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