拉致されて。監禁されて。
 後はもう―――――。


009:傷が消える、その日まで



 身体の上で、後ろから聞こえる長い長い吐息。  力の抜ける様をありありと知らせるそれに、ようやく長い無体が終わる事を悟る。

 無茶を強いられた身体は、拘束する腕がないとたやすくベッドに倒れこんだ。
 無理に身体の向きを変えてようやく背に感じられた柔らかなシーツが、ナナミの身体に浮かぶ汗を吸い取ってくれる。
「……ナナ……」
「触ら、ないで」
 伸ばされる手を拒絶して、少女は重く感じる腕で自分の目元を隠す。
 全てを拒絶したかった。
 けれどそれをしては、不安定な彼を闇の中に打ち捨てる事と同じである事を、ナナミは知っていた。

 まるで親を見失った子供のような雰囲気のルックに、視界を覆っていた腕を伸ばす。
 上気した頬も、流れる汗もそのまま、ひたすらナナミを見詰める彼の顔に、動かすのも億劫な手を添える。
「どーして、こういう事するかな」
 それは問いかけではなく、答えを求めてはいない、叱責に近い諦めの言葉だった。

 遠征から戻った彼に攫われて、自室へ連れ込まれたと思ったら、服を脱がすのももどかしいとばかりに性急に求められ、散々貪られた。

 めったにないが、忘れた頃にある、彼の凶暴な行動。

 必要な場所だけはだけられた格好で、力の入らない下半身を持て余しながら、ナナミはルックの頬を撫でる。
「私はここにいるよ」
 強姦した男は、許しを与えられた罪人のような面持ちで少女の手に甘える。
「私はルック君が怖くないよ」
 ナナミは強く握り締められる手に鈍い痛みを感じながら、お決まりの言葉を繰り返す。
「ルック君が悪いんじゃないよ」
 言いながら、彼女は思い出していく。
 彼をこんな行動へ走らせた出来事を――――。


 ルックは優秀な魔術師だ。
 魔力素質はずば抜けて高く、各紋章への適性も申し分ない。
 だが風の申し子といわれるように、風の紋章の適正と操作性は他の追随を許さず、彼は必ずその紋章を宿していた。
 風の紋章は、攻防一体の使い勝手の良い紋章ではあるが、彼に求められたのは攻撃の方の力。
 傷付いた人々の傍ら、それよりも多くを殺し、時に高い地位にある人物を癒して――結果、その全てより多い人々を救う。
 そんな役回りを与えられて、ルックはそれをきちんと自覚していた。


 けれど彼は優しい人で。
 傷付いて苦しむ人々を、助ける力があるのに助けられず。
 風の魔法で人を殺す――与えられた役目を果たして、人に怖がられた。


 あれはいつの事だったか。
 小規模な戦闘だったはずだが、もうあまり良く覚えていない。

 同盟軍はひどく追い詰められていて、仲間を守る為にルックは風の魔法を手加減なく放った。
 その判断は決して間違いではなく、むしろ誉められるべきものだっただろう。
 残ったのは、彼一人。
 見えない刃で切り裂かれた、人間だった物質の塊がそこら中に転がって、地面を、空気を赤く染めた。

『ば、化け物だ……』

 言ったのは、新参者の若い兵士。
 空気を司る少年は、小さい呟きも捉える事が出来ていて―――ナナミは、彼の表情がかすかに引き攣ったのを見た。


 その夜、ルックは。
 ナナミを無理矢理抱いた。


『側にいて。離れないで。怖がらないで』

 彼は何も言わないけれど、激しい痛みと快楽の中でナナミはそんな叫び声を身体で感じ取る。
「大丈夫だよ」
 ルックが倒れこむようにナナミの身体の上にうずくまり、自分が無理をさせた身体をかき抱く。
 少年の、細いけれどしっかりしている腕が震えている事にいつものように目を瞑った振りをして、ナナミは彼の髪を撫でた。



 悪いのも、怖いのも、彼ではなく。
 争いが行えと人に強要し、人はそれを実行する。
 生きる為に。

 たくさんの人間の痛みを生み出して、その痛みを内包して尚、戦争は続く。





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