075:掛け替えのない、誰か
お菓子作りは嫌いじゃないけれど、それでも今年はかなり頑張った。 自分で言うのもなんだけど、はじめてにしては上手く出来たと思う。 選んだお菓子はトリュフ。 箱と包装紙は落ち着いた黒で。 リボンの色は―――――――――――――― *白* 雲雀 *青* 骸 *白* どんなに街がバレンタインデーで賑わっていても、学校はチョコの持込禁止。でもそれを守っている子はほとんどいなくて、先生達も苦笑いをして見逃してくれる。 ほとんど公認されているバレンタインデー。 許してくれないのは、風紀委員の人達だけ。 だからみんな気を付けているのだけれど……。 なんというか、悪い予想通が現実になってしまった。 「校則違反。これは風紀委員で没収するよ」 冷たくて無情な言葉に唇を噛む。 しっかり鞄の奥に入れていたのに、廊下から飛び出してきた人とぶつかったのが悪かった。 ぽんと飛び出てしまった紙袋。たまたま見回っていた風紀委員長の目についた。 彼宛てのチョコレート。 自分の名前が入ったカードを見ただろう雲雀さんは、何も言ってくれない。 どうしよう。風紀委員会は、没収したものは処分してしまうのだろうか。 「これは放課後、取りに来るように」 「え?」 「風紀委員は、わざわざ捨てる手間をかけたりしないよ。 取りに来るように」 「は、はい!」 心の中で誰にかは分からないお礼を盛大に言って、私は授業が終わるのを待った。 並盛中の応接室は、雲雀さんの執務室。 他の子は別室でチョコを返却されているらしいのに、私だけ応接室の方へ通された。 応接用のテーブルに紙袋はきちんと置かれていて、朝と変わっていない様子のそれに少しほっとする。 ソファに私と向かい合わせで座る雲雀さんは、不機嫌そうな顔でため息をついた。 「僕宛だよね、それ」 「はい……」 「全く。なんて学校に持ってくるわけ?」 「う」 「校則違反だから学校では受け取らないって思わなかった?」 「…………」 私の好きな人は、自分に送られるチョコレートだって、規則だからと断る厳しい人。 少しだけでもみんなと同じように学校で渡せるかなって期待した自分は、なんて浅はかだったんだろう。 「直接僕の家に来れば良いでしょ」 「え?」 「なにも受け取らないとは言ってないけど?」 だから持ち帰れと視線で言われ、紙袋に決して手を付けてもらえなくても、私の胸は温かい。 良かった。 私の気持ちをこめたものは、この人に確かに渡すことが出来るんだ。 「僕はまだ仕事があるから、君は一度自分の家に帰って準備しておいて」 「なにを……ですか?」 せっかく雲雀さんの家に行けるから、きちんと着替えてからお邪魔するつもりではあるけれど、"準備"ってなんだろう? 首を傾げる私に、彼は涼しい顔で言った。 「なに言ってるの。君は今日は僕の家に泊まりだよ」 「は!?」 「僕にくれるんでしょ、それ」 「そ、そうですけどっ」 「君に食べさせてもらうから」 「は?」 コノ人はナニを言っているの? さらりと言われる事は爆弾ばかりで、私の頭はぐちゃぐちゃだ。 「この僕があまり好きじゃない甘いものを食べるって言うんだから、それぐらいして当然じゃない。外泊の事は伝えてきなよ」 どことなく機嫌が良さそうな雲雀さんが薄く笑う。 ぞくぞくぞくっと、背中に寒気が走った。 この感覚は悲しい事にとても馴染みがあるもの。 ―――今日はバレンタインデー。 チョコレートと一緒に、好きと言う気持ちを伝える日。 私達にとってのこの日も、間違っていないはずなのに。 顔から血の気が引いていくのが分かる。 明日、私はちゃんと登校出来るだろうか? *青* 贈りたいのに贈れないチョコレート。 私に渡す勇気がないとか、そんな問題だったらどれほど良かっただろう。 相手が手の届く先にいることの幸福を、私ははじめて知った。 このチョコを食べてほしかった人はいない。 私には分からない遠い場所に囚われている、らしい。 なぜと問うには、彼の持つ空気が禍々し過ぎた。 それを知っていて、私は好きになったのだ。 不幸になるよ、と声はしていた。泣くことになるよ、と囁きがあった。 私の中から、常に。 そうして全て知っていてあの人の手を取った私は、泣きながらチョコを作り、鞄に入れる。 持っていても渡すことが出来ないそれは、私の心と裏腹にひどく軽かった。 「馬鹿だなぁ、私……」 並盛中、黒曜中の周り、黒曜センター、河原をと一日中一緒に移動した紙袋は、少しくたびれながら朝と同じ場所に戻ってきた。 あの人と会った場所を全部行ってしまった自分は、そんなに彼を好きだったのだろうか。 「……骸、さん」 ベッドに倒れこみ、目を閉じる。 なんだか泣きそうだった。 「……こ」 誰がが私を呼んでいる。 「京子」 知ってる。 胸が痛くなる、この声を知っている。 「京子。起きなさい」 中々上がらなかった瞼は、そこでぱちりと開いた。 赤と青のオッド・アイ。右目に灯る六の字。 ―――会いたかった、ひと。 「むくろ、さ……」 「ええ。僕ですよ、京子」 「骸さん、骸さんっ!!」 私を覗き込んでいた彼に飛びつく。 体が覚えている彼のぬくもり―――これが夢である事はもう理解していた。 「君があまりに切なく僕を呼ぶから、目が覚めてしまいましたよ」 抱きしめ返してくれる腕が嬉しくて、視界が歪んだ。 話したい事はたくさんあったのに、頭が真っ白で言葉が出ない。 「……あのね。今日、バレンタインデーなんです」 やっと出てきたのはそんな事だった。 「バレンタインデー……? ああ」 「日本では、女の子が好きな人とか家族とか友達にチョコを贈るんです」 頷く彼がイタリア育ちだったことを思い出して、慌てて続ける。 「今年は……骸さんに渡すチョコ、作ったんですよ」 声が震えるのを押さえる事が出来ない。 この日に会えただけでも嬉しいのに、会えればまた欲深くなる。 チョコを渡したかったと、と望む自分が嫌だ。 骸さんの肩に顔を押し付けてぐるぐるしている私の頭に、小さなぬくもりが落ちてきた。 「嬉しいですよ」 声は、皮膚を通して伝わってくる。 頭のてっぺんからおでこに、ゆっくりと移動する唇が囁く。 「食べられないのが残念です」 彼の瞳を覗き込むと、本当にそう思っているのが分かって嬉しくなった。 「あ、れ?」 涙は止まったはずなのに、目に見えているものがひどくブレる。 「骸さ……!」 ひどい恐怖を感じて彼を見ると、その姿もノイズがかかったように所々消えていた。 「 」 骸さんの声が聞こえない。 やっとやっと耳にする事が出来た、大好きな声なのに。 あの人に向かって手を伸ばす―――指も、腕も、所々が水に溶けたように消失していた。 「 ょ こ」 どうにか聞こえた途切れ途切れの言葉を、必死に聞き取る。 涙なんか流している場合じゃない。少しだけ焦った彼の顔を、目に焼き付けたい。 「 逢う き 来た 、また てきて すか?」 「作ります!! 何度だってっ。あえ、逢えるまで……ずっと! 逢えたらいっぱい作ります。だからっっ!!」 「 。 ずれ……」 そこで世界は寸断し、意識は完全な覚醒を迎えた。 「京子! 晩飯だぞ!!」 ドンドンと力強く扉を叩く音と、お兄ちゃんの呼びかけ。 突然叩き付けられた"現実"に私の思考が追いつかない。あまりに反応がなくて心配し始めたお兄ちゃんに慌てて答えを返し、部屋を見回す。 見慣れた自分の部屋。 骸さんと会うまでと変わりはない。 「あ」 変わったところは、あった。ひとつだけ。 机の上の紙袋。きちんと置いた覚えがあるそれは倒れ、包装したはずの箱が剥き出しになっていた。 「なんで……」 そしてその箱の中身は――――――無かった。 「ッ」 ありえないと、分かっていたけれど。 理性や常識を超越したなにかが、私を襲う。 「むく、ろ、さん?」 このチョコを持っていったのは骸さんだと思う私を、彼は笑うだろうか。 そこでようやく、私はこの日はじめての涙を流した。 |