人を自分から愛せない私達が想いを交わせたのは奇跡に近かった。



05 踏み出してしまえ



 静雄さんはその特異体質で私を傷つける事を案じ、私は身の内の罪歌で彼を支配しないか恐れ、好きなのに手を握る事すら互いに出来なくて。
 そんなもどかしい状態を崩してくれたのは、二次元を愛する遊馬崎さんと狩沢さんの行動だった。
 なぜか私は二人に面白い対象だと思われているらしく会えばなんやかんや構ってもらっているのだが、今日はそれがハグだった事に困っていたところを静雄さんに見られて、こめかみに青筋を浮かべた彼に担ぎ上げられてその場を脱した。

 静雄さんは私を肩に持ち上げたまま一度来た事のある我が家へ直行。移動中に降ろしてくれるように頼んでも聞き入れてくれなかった。
 通行人の好奇の視線が恥ずかしくて赤くなってしまった顔を伏せながら家の鍵を開け、逃げるように狭い部屋に飛び込むと、静雄さんも続いた。
 カチャンと閉められた鍵の音にビクリとして振り返る。家の玄関は猫の額みたいな広さだったから、自然、静雄さんはすぐ側で立っていた。
 彼を想う罪歌が盛大に愛を叫ぶ。それを慌てて額縁の外へと流して、部屋に上がってほしいと言うと彼は軽く頷いて諾意を返してくれた。
 靴を脱いで中へ進む。鞄を置いて、お茶でも入れようを玄関横のキッチンへ身を向けると、ひょいっと身体が浮いて目を丸くする。腰にあたたかな体温。
「し、ずお、さん?」
「ん、ああ」
 浮遊感とスカート越しに感じる彼の手に、つい足をばたばた動かしてしまう。静雄さんは部屋の奥へ移動して、ベッドの前で私を抱えたまま器用に腰を下ろした。
 静雄さんの胡坐をかいた足の上に乗せられたが、位置が悪かったのかあまり居心地が良くない。座り心地を求めて少しだけ身体を移動させると、静雄さんの瞳が細まり、両肩に腕が巻きついてきた。
「えっ、え、しず、お、さん!?」
 付き合ってしばらく経ったとはいえ手もろくに繋いだ事のなかった人の行動にただただ驚くばかりで、体温が急上昇するのが分かる。
「ワリ……力は気をつけるから、ちょっとこのままでいてくれ」
 耳元で囁かれた低音が身体に沁み、琴線に触れる。どこか揺れているそれを、受け止めなくてはいけないと思った。踊り狂う心臓を宥めながら、性別の違いを感じさせる静雄さんの背中に腕を回す。
「ん……」
 ゆったりした深呼吸を繰り返す静雄さんはなんだか可愛い。けれどどこかに荒れた空気を潜ませているようにも感じる。彼の頬がぐりぐりと左側頭部に擦り付けられた。
 少しだけ距離を開けた彼は、右手で薄い色のサングラスを外してベッドへ置き、もう片方の腕を私の腰に回してくる。
「馬鹿馬鹿しくなった」
「え?」
「お前を壊すんじゃないかって触らないでいたのに、あいつらはべたべた触りやがる」
 呻った彼の腕がそろりと伸びてくる。
 恐る恐るといった風な動きは「池袋の自動喧嘩人形」なんて呼ばれている人物のものとは思えないほど躊躇いがちで、こちらまで体がぎこちなくなりそうだ。
 骨ばっている男の人の手が、膝の上に置いていた私の手を掬いあげる。
 彼の瞳がわずかに丸まったのが見えて首を傾げると、静雄さんは触っている私の左手を改めて自分の右手の掌の中に収めて息をついた。
「あんたの手、ちっさいな」
「そう……ですか?」
「ああ。それに柔らかい」
 日々、自販機や標識を毟り取っては投げるという荒業をやっている人の手は、しかしとびきりがっしりしているわけでもない。まじまじと見られるほど綺麗な手指をしているわけでもないので恥ずかしくなるが、ここで手を引っ込めたらきっと静雄さんは勘違いをしてしまう。
 怖くない。嫌じゃない。私は申し訳ないぐらい幸せだ。
 私から手を伸ばさせなかった理由である、静雄さんと愛を交わしたいという狂喜する罪歌も今は手強くない。
 そうっと自分の指を握る。触れていても絡まってこない静雄さんの手を包めはしないけれどそれに近い形になると、彼がかすかに笑う。胸が切なくなるちいさな微笑み。握り返された手が男の人の口元へ導かれる。
 手の甲に静雄さんの唇が触れた。
 ――私の手は、妖刀を出して操る、普通じゃないもので。それを知っている人が、そんなものを壊れ物みたいに扱ってくれる。
 嬉しくて苦しい涙で視界が滲んで、それを見られなくて静雄さんの首元に顔を寄せて誤魔化す。額を押し付けると、私の手を解放した彼の手が背後に回ってきたのが感覚で分かった。
 二本の腕が私を抱く。
 さっきと変わらない優しい力。私が身動ぎをすれば簡単に解けてしまう。
「痛かったら言ってくれ」
 感情のタガが振り切れたら強い力が出てしまうかもしれないから、と奥底に怯えを滲ませた囁きが続く。私は両腕を持ち上げ静雄さんの首に巻き付けた。少しだけ立ち上がって、金色の髪の頭を抱き込むようにする。
「もっと強くて大丈夫です」
 そう言う自分も彼をぎゅうっと抱き締める。答えは体を包む圧迫で返ってきたがまだ足りない。
「もっと」
「っ」
「……もっと」
 腰に巻き付く腕が、肩胛骨あたりを掴む手が、ぐうと私をかき抱く。
 少し苦しくて、痛い。ただ、それがとてつもなく嬉しい。
 右耳にやわらかなものがくっつく。耳よりわずかに体温の低いそれが静雄さんの唇だと分かったのは、囁きが落とされてからだった。
「……あんり」
 耳に直接吹き込まれた熱っぽいテノールはぞくりと体を伝い、腰から力を奪う。立てていた足が崩れ落ちてしまい、静雄さんにしがみつくような格好になった。
 静雄さんが頭を何度も押し付けてきる事に、心臓がきゅうきゅうと鳴る。なんて甘い痛み。窒息しそうな幸福の中で、彼の擦れた宣言を聞く。

 もう、離さねぇ。

 言葉の終わりは初めてのキスと被っていた。




 
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