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 沢田家のリビングで寛いでいたオレへの来客は、静かな空気を纏って現れた。
 椅子の上にクッションを重ねて座っているこちらの前で膝を折り、フローリングに正座する。
「こんにちは、リボーン君」
「ちゃおっス。どうした、京子?」
 ツナがいない、ビアンキもいない、ママンもガキ共もいない、そんな珍しい時を狙ったかのようにやって来た。
 天気が悪ければ空から白いものが落ちて来るこの季節、フローリングは冷たいだろう。ちらりと視線で椅子に座るよう促しても、少女はかすかに首を横に振って辞退する。
 オレは楽しんでいたエスプレッソのカップをソーサーに戻して、京子に向き直った。
「お願いがあります」
「――なんだ?」
 問いながらも、言われる内容は分かっていた。
 こんな日がいつか来ると、京子と背中を合わせて話した時にうっすらと感じていた。
 あのパーティーの日、今のオレよりは大きい、本当のオレよりは小さい背は、波に遊ばれる木の葉ように震えていて。
 オレはそこに涙と意地と決意を嗅ぎ取った。
「私の先生になってください。
 私に、ツナ君達みんなと歩いていける力を与えてください」
 まっすぐに目を見て言った京子は、そのまま頭を下げた。
 床に触れるか触れないかギリギリのところで、柔らかそうな髪が揺れる。
 淡い色のそれが血に染まるのは惜しいな、とかすかに思った。
 ツナが聞いたら即座に大反対するだろう。だがオレは裏世界の人間で、それほどお人好しなわけでもない。
 覚悟を決めた女に、制止や問い掛けは不粋だ。
「なってやっても良いが、オレは高いぞ?」
 諦めさせる為の言葉じゃない。オレの生徒になる少女への最初のテスト。
 ここで躊躇うならばそれで終わり。
 問いに京子はがばりと身を起こした。
「一生かけても必ず、絶対に払います。お願いします……!」
 必死の顔。瞳の奥に死ぬ気の炎が見える。
 良い光だ。
 ボンゴレの火にさぞや美しく映えるだろう。ダメツナにはもったいない。
「分かった。お前を鍛えてやる」
「リボーン君……!」
「ひとつ聞かせろ」
 喜ぶ京子に水を被せるように、冷たく言った。
 聡い女はさっと表情を消し、唇を噛んで身構える。コーヒーの香りが遠い。
「なぜこうなる事を選んだ?」
 鼻の奥で、嗅ぎ慣れた血と硝煙の臭いがふっと甦る。
 いつかはツナと京子も知る臭気。甘いこいつらは泣くだろう。
「――守られてきました。隠されてきました」
「ああ」
「感謝しています」
「そうか」
「でも私は、みんなが望む"何も知らない京子"をずっと続けられるほど……強くありませんでした」
 膝の上で握り締められる両手。あまりに強く握っていて白くなっている。
 細い爪は肌を容易く破るぞ、と言いたかったけれど形にはしなかった。
「みんなの帰りを恐がりながら待つより、怖くてもみんなと血と泥に塗れたい」
 危機的な未来で、守りたいんだと叫んで大空のリングに炎を灯したオレの生徒。
 新たに教えるこいつは、ツナに良く似ていやがる。
「良い答えだ。あいつらと肩を並べられるようにしてやろう」
「リボーン君……ありがとう」
「お前は特別だ。授業料は金じゃなくて良い」
「え?」
 先程その料金は高いと言った口で、オレは京子を混乱させるような事を言う。案の定、少女は眉を八の字にして疑問符を顔に描いた。
「オレが育てて良い女になったお前の一夜をもらう。ベッドで返せ」
 帽子のつばを指で押し上げ、口角を上げる。
 体で謝礼を払え、と言われた事に、まだ清らかな乙女は気付いただろうか。
 惜しくなったのだ。このまだまだ幼い、しかし確かに自らで行く道を決めた女を、他の男にくれてやるのが。
「無理矢理は好かねぇ。成長したお前が、オレを触らせるに値しない男だと判断したら、拒否しろ」
「でも、それじゃ……」
 意味を理解してか顔を赤くした京子は、それでも無償は納得出来かねるらしい。自分に有利なのだから黙っていれば良いというのに、律儀な事だ。否、まだ子供なだけか。
「その時は、ヴィンテージ・ワインでもプレゼントしてくれ。オレにしては破格の値段だぞ?」
 吐息は京子に届かないようひそやかに。
 散々報酬の話をしておきながら、本当は見返りなどいらないのだ。
 これがオレの詫び方。
 山本や了平と違う、マフィア世界に巻き込むつもりじゃなかったお前に、闇への入り口を与えたオレの。
 惜しいと思ったのも確かで、試すついでにしっかりと条件にしたけれど。
 たとえ体は赤ん坊でも、オレは狡い大人。いつか、相手が悪かったと気付け。
 しばらく迷っていた少女は、心を決めたのかキッと表情を引き締める。
 京子がする表情の中で珍しく厳しいこれが、オレは一番お気に入りかもしれない。
「よろしくお願いします」
 三つ指をついて乞う。
 ほのか立ち昇るように見えるのはその想いか。背中で語る日本人の姿は、この国の人間じゃないオレをも痺れさせる。
 こいつは、仲間想いの良いファミリーになるだろう。

「顔を上げろ、京子」
 クッションが何枚も重ねられた専用席から飛び降り、いまだフローリングに座る京子の前に立つ。
 彼女が上体を起こしきる前に髪を掴んで目線が合う位置を少し無理に保たせてもらった。
「契約の証と前金にもらっておく」
 顔を近付けていく。
 鼻が触れ合いそうな位置まで接近して、なにをされるか悟ったらしい京子は身を引く事無く瞼を閉じた。
 ああ、良いオンナだ。

「我、汝を導かん事をここに誓約せん」

 元より生徒のツナにもした事がない誓言。
 唇を重ねて、証とした。


 まずは、オレ好みのエスプレッソを作れるようにするところから始めようか。

 テーブルのそれはもう、冷めていた。




076:見返りなど求めない




薔薇が咲く準備をはじめた頃のお話。



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