籠の鳥籠の鳥ルート設定



 超直感が覚醒を促す。
 風が動いた。


089:怖いくらいの、そのうつくしさ



 腕の中にあるはずの温もりがない。
 起き抜けの一瞬でその事に気づいたツナは上半身を起こし、視線を巡らせた。

 まだ時刻は真夜中。
 部屋は真っ暗だが、家庭教師の訓練されたせいで夜目が利く。探し人はすぐに見つかった。
「京子ちゃん」
 開け放った窓枠に腰掛け、夜空を見つめていた彼女。
 呼び掛けに、ゆっくりと首を巡らす。
 あの大きくて綺麗な瞳がこちらを見ているのが分かった。たとえ闇の中でも綱吉は間違えない。
「そんなところにいたら危ないよ」
 ベッド下に落ちている下着とズボンを穿き、そちらへ近づこうとする。
 心臓がザワザワと騒ぐ。

 危険――ナニガ?
 止めなければ――ナニヲ?

 かち。カチ。

 時計の針が進む音がやけに大きい。
 部屋の空気が重くて、肺の中がねっとりと熱かった。
 何かが近付いている。

「来ないで」

 ひやりと冷たい制止に、足を止めさせられる。
 超直感の警告さえ、氷めいた響きのそれが断った。

「京子、ちゃん?」
 嫌な予感。自分の指先がピクッピクッと反応する。
 何が近付いている?
 焦燥からか、掌が嫌な汗で湿った。

「どうして起きちゃったの、ツナ君」  ひび割れた声に滲む疲労。それは綱吉が彼女をしつこく抱いたからとか、そういうものではなくて。
 訝しむ綱吉を置き去りに、京子は続ける。
「どうして……こんな事に、なったの」
 ほろりと言葉が落ちて、彼女の頬で光るものを見つけた。
 窓の外の光をわずかに反射したらしい、涙、だろう。

 ――とうとう、この時が来た。

 先程から聞こえていた時計の音が、本当は自分の中でしていたカウントダウンの音だと綱吉は悟る。

 カチン。

 偽りの平穏が終わりを告げる。

「オレが君を好きだから」

 綱吉は笑う。
 微塵の揺らぎもなく、おかしなくらい完璧に整った顔で。

 ――ボンゴレ十代目を継いだ沢田綱吉は、笹川京子をイタリアに連れ去った。
 鮮やかな手際だった。
 入念に準備された誘拐劇は、さも彼女の決断のように見せて。
 手にした最愛の女を、ボンゴレは自分の城に閉じ込めた。
 そこに京子の意思はなく。

 目が覚めたら異国の見知らぬ場所。
 今まで友達だと思っていただろう男――綱吉が、圧し掛かる。
 彼女にとったら、悪夢でしかなかっただろう。

「君を誰にも渡したくなかった。
 誰にも傷つけられたくなかった」

 京子には、日本で好きな男がいた。
 どれほど殺したかっただろう。
 自分や仲間達の大切な人間だったから、敵対勢力には格好の獲物だった。
 どれだけ恐ろしかっただろう。

 だから綱吉は選んだ。
 最も安易で、一番選んではいけなかった方法を。

「……家に帰して」
 虚ろな目をした彼女が、ここに閉じ込められてから初めての要求を口にする。
 綱吉は目を細め、にこやかに言い切った。
「駄目だよ。君はずっとオレの元にいるんだ」
 ボンゴレ十代目のたったひとつのわがまま。
 闇を継承する代わりの要求を、ボンゴレは許した。そんな事で良いのなら、と。
「好きになってごめんね、京子ちゃん」
 謝るくらいなら、と京子の双眸が糾弾する。
 綱吉はそれを理解しても、聞き届けはしない。男の意図を察した彼女は軽く目を見開き、それから閉じた。
 トン、と小さな足が床を蹴る。
 元より窓の桟に腰掛けていた身体は容易にバランスを崩し、上半身からゆっくりと後ろへ傾いだ。
 ここはボンゴレ本拠地の城に近い屋敷の最上階。窓から落ちたら即死は間違い無い。
 だというのに、ワンピースを纏った身体はなんの躊躇もなく宙へ舞った。
「―――ッ!!」
 死ぬ気丸もグローブもない。恐怖が身を襲う。
 視線の先で、小さな足が消えていった。

 ボンゴレ本拠地に、轟音が轟く。


 夜の闇に灯るはオレンジの炎。
 澄み切った強大なそれは、煌々と京子の顔を照らす。
「ツ、ナ君……」
 終わりを夢見ていた女は、自分の生命を鷲掴んだ人間を絶望の面持ちで見上げた。
 彼女の視線を受けて、意志の力だけで死ぬ気の炎を纏った綱吉はにこりと笑む。
「良かった。君が死んだらどうしようかと思った」
 眼下には、窓際が大破した屋敷の最上階。爆発にも似た音に、敷地内が騒然となっている。すぐに部下が駆けつけるだろう。
 これから彼女の部屋の窓には格子をかけよう。刃物なんて一切持たせない。
「離し……!」
「もしも君がオレの手から遠ざかったら」
 暴れる彼女を片腕で抱き込み、片手の炎で二人の体重を支えながら、彼女の言葉を冷たく遮る。
「君の家族、友人、関わった全ての人を殺すよ」
「!?」
「君をこの世に繋ぎ止められなかった罪で、みぃんな死んでもらう」
 甘い睦言を落とすように、ひそりと耳許で囁いた。
 信じられないものを見る目で京子が見上げてくる。綱吉が本気である事を感じたのだろう。腕の中の身体がひどく震えていた。
 自分にとっては当たり前の処置だったが、彼女にしたらこれ以上ない脅しだろう。
「それでも良かったらオレから離れると良い」
 優しいやさしい京子。
 そんな事を言われたら、たとえ自分が死ぬより辛くても命を断つ事は出来ない。

 綱吉はゆるやかにオカシクなったと自覚していた。
 昔の自分からは想像も出来ない大きな狂気――残酷な黒い獣が体内に棲んでいる。
 唯一の獲物である、美しいオンナが涙を流す。
 絶望と諦めの涙。
 綱吉は歓喜に喉を鳴らして、塩辛い雫を舐めて飲み込む。

「好きだよ、京子ちゃん。一生愛してる。
 ごめんね。
 ボンゴレ(オレ)に繋がれて、骨まで食べられて」

 駆けてくるのは、彼女を囲う事に同意した部下達。
 ずっと京子を食べたがっていた。
 そろそろ、共有しても良いだろう。

「ああ。今日は獄寺君とも寝ようか」

 妖しく笑うドン・ボンゴレに、籠の鳥は悲しく啼いた。





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